「ポーリーヌ・ボナパルト」の版間の差分

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兄のナポレオンに最も可愛がられていた妹で、ナポレオンは彼女を「ポーレット」という愛称で呼んだ。ナポレオンの妹たちには美人が多かったとされるが、なかでも最も美しかったのがポーリーヌであったようである。ただし、性格は頑固でわがままであったという。
 
ポーリーヌは形のいい小さめの頭に黒髪、はしばみ色の瞳をした美女だったらしい。初めは15歳の時にナポレオンの[[副官]]の[[騎兵]][[士官]][[ジャン=アンドシュ・ジュノー|ジュノー]]将軍と恋仲になった。しかし、ナポレオンは彼が軍隊の給与以外に収入がないことを理由に、2人の結婚を認めなかった。その1年後にポーリーヌは、今度は過激な革命家で名うての[[プレイボーイ]]だった[[ルイ=マリ・スタニスラ・フレロン]]に恋をした。ナポレオンや母の[[マリア・レティツィア・ボナパルト|レティツィア]]達がこの恋愛に反対して彼女を見張り、またナポレオンはポーリーヌの気持ちを冷まさせるため、彼が個人的に使っていた[[セルボローニ宮殿]]に彼女のための部屋を用意させて呼び寄せた。そのためか、まもなくこの恋は自然消滅したようである。この宮殿で、彼女は子供のようないたずらをしたり、要人達をからかってすごしたという。その後、美男で金髪の[[シャルル・ヴィクトール・エマニュエル・ルクレール]]将軍と恋に落ち、結婚した。
 
[[1801年]]10月に、ルクレールは[[サン・ドマング]](現在の[[ハイチ]])に転任となった。しかし、彼はそこで[[黄熱病]]にかかり、ポーリーヌの看病のかいもなく病死してしまった。帰国当初は悲しみにくれていた彼女だったが、しばらくすると服喪が嫌になってきて、夫の喪が明けると同時に華々しく社交界に復帰した。