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== 歴史 ==
[[春秋時代]]に莒国{{enlink|莒国||zh}}の都城が置かれたことより。その後、[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]に莒県が設置されは[[田斉|斉]]の支配下に入った。
 
[[紀元前284年]]、燕の将軍[[楽毅]]が、5か国連合軍を率いて斉を攻めた。首都[[臨シ区|臨淄]]をはじめ斉の70余城がことごとく陥落する中で、莒は[[即墨市|即墨]]とともにわずかに斉の側に残った拠点となった。[[ビン王 (斉)|湣王]]は莒に逃れ、湣王が臣下に殺害されると[[襄王 (斉)|襄王]]が立って、頑強な防衛戦を行った。斉の苦境は、将軍[[田単]]の登場によって覆り、その活躍によって斉は国土を回復することとなる。
 
[[秦|秦代]]に莒県が設置された。
 
== 行政区画 ==
*鎮:城陽鎮、招賢鎮、閻庄鎮、夏庄鎮、劉家官莊鎮、嶠山鎮、小店鎮、中樓鎮、竜山鎮、東莞鎮、浮來山鎮、陵陽鎮、店子集鎮、長嶺鎮、安庄鎮、碁山鎮、洛河鎮
*郷:寨里河郷、果庄郷、桑園郷、庫山郷
 
== 備考 ==
*20世紀後半、[[台湾]]に逃れた[[中華民国]]の指導者[[蒋介石]]は「毋忘在莒」(莒に在るを忘るることなかれ)と訓示した。国土の大半を中国共産党(中華人民共和国)に奪われ、一角を保って反攻を期する状況を、田単の故事になぞらえたものである。「毋忘在'''莒'''」・「'''光'''復大陸」(大陸を取り戻すこと)というスローガンから採った「莒光」という語は、[[台湾鉄路管理局]]の列車種別([[キョ光号|莒光号]])や、[[金門島]]にある軍事記念施設([[キョ光楼|莒光楼]])、[[馬祖島]]の村名([[キョ光郷|莒光郷]])などに名づけられている。
 
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