「オットー4世 (神聖ローマ皇帝)」の版間の差分

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'''オットー4世'''(Otto IV., [[1175年]] - [[1218年]][[5月19日]])は、[[神聖ローマ帝国]]の[[君主]]([[ローマ王|ドイツ王]]在位:[[1198年]] - [[1209年]]、[[神聖ローマ皇帝]]在位:1209年 - [[1215年]])。[[バイエルン大公|バイエルン]]公兼[[ザクセン君主一覧|ザクセン公]][[ハインリヒ3世 (ザクセン公)|ハインリヒ3世(ハインリヒ獅子公)]]と[[イングランド君主一覧|イングランド王]][[ヘンリー2世 (イングランド王)|ヘンリー2世]]の娘[[マティルダ・オブ・イングランド|マティルダ]]の次男。[[ライン宮中伯]][[ハインリヒ5世 (ライン宮中伯)|ハインリヒ5世]]の弟、リューネブルク公[[ヴィルヘルム (リューネブルク公)|ヴィルヘルム]]の兄。
 
[[ヴェルフ家]]唯一の神聖ローマ皇帝であり、[[1210年]]に[[教皇|ローマ教皇]][[インノケンティウス3世 (ローマ教皇)|インノケンティウス3世]]から[[破門]]を宣告された。[[1214年]]の[[ブーヴィーヌの戦い]]で敗れた後にオットー4世は帝位を断念し、ヴェルフ家と敵対する[[ホーエンシュタウフェン朝|シュタウフェン家]]の[[フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ2世]]が新たな神聖ローマ皇帝となった。
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しかし、シュヴァーベン公フィリップはオットーの支持者との戦闘で勝利を重ね、[[1204年]]にはケルン大司教からドイツ王冠を戴冠された。同年にイングランドがフランスとの戦闘に敗れたため、イングランドからの資金援助を絶たれたオットーは苦境に陥り、兄のハインリヒを含めた多くの諸侯がフィリップに味方した。[[1206年]]7月27日にオットーは{{仮リンク|ヴァッセンベルク|de|Wassenberg}}近郊の戦いでフィリップの軍に敗れて負傷し、教皇庁も内戦で優位に立つフィリップの支持に回った<ref name="Canduci, pg. 294">Canduci, 294頁</ref>。フィリップは事実上のドイツ王となり、オットーは[[ブラウンシュヴァイク]]近郊の居城に退去を余儀なくされた。
 
インノケンティウス3世の仲介でオットーとフィリップはケルンで交渉を行い、フィリップはオットーにドイツ王位請求権の放棄と引き換えに、フィリップの娘ベアトリクスとの結婚、シュヴァーベン公位、莫大な補償金の支払いを提示した<ref name="Comyn, pg. 278">Comyn, 278頁</ref>。オットーはフィリップの提案を拒否し、再び内戦が勃発しようとしていたが、[[1208年]]6月8日にフィリップは個人的な怨恨が原因で暗殺される<ref name="nishikawa251">西川「初期シュタウフェン朝」『ドイツ史 1 先史〜1648年』、251頁</ref>
 
=== 即位 ===
フィリップの死後、オットーはシュタウフェン家との関係を改善してベアトリクスと結婚するが<ref name="Comyn, pg. 279">Comyn, 279頁</ref>、フィリップの遺領であるシュヴァーベン地方の人間は[[ザクセン]]地方出身のオットーを「よそ者」と認識していた<ref name="kan85">カントローヴィチ『皇帝フリードリヒ二世』、85頁</ref>。フィリップの暗殺後にインノケンティウス3世はドイツ諸侯にオットーの支持を呼びかけ<ref name="nishikawa251">西川「初期シュタウフェン朝」『ドイツ史 1 先史〜1648年』、251頁</ref>、長く続く内戦に疲弊した諸侯たちはオットーの即位に同意した<ref name="kan63"/>。1208年11月11日に[[フランクフルト・アム・マイン|フランクフルト]]で行われた皇帝選挙において、オットーは帝位の世襲を行わないことを宣言し、[[選帝侯]]全員からの支持を得た<ref name="Dunham, pg. 195"/>。
 
インノケンティウス3世とも和解を果たしたオットーは、神聖ローマ皇帝への即位の準備に取り掛かった。1208年にオットーは[[ヴェローナ]]、[[モデナ]]、[[ボローニャ]]を経由して[[ミラノ]]に到着し、同地で[[ロンバルディアの鉄王冠]]を戴冠され、「[[イタリア王]]」の称号を帯びた。1209年3月にオットーは[[シュパイアー]]で以下の事項を記した特許状を発布し<ref name="nishikawa251"/>、インノケンティウス3世に対して教皇の権威に服することを誓約した<ref name="Canduci, pg. 294"/>。