「アスレティック・ビルバオ」の版間の差分

ウルティア会長関連で出典の追加など
(ウルティア会長関連で出典の追加など)
|スタジアム=[[サン・マメス・バリア]]
|キャパ=53,332
|代表={{flagicon|ESP}} [[フェルナンドホスシア・マクティア]]
|監督={{flagicon|ESP}} [[エルネスト・バルベルデ]]
|HP=http://www.athletic-club.net/
2007-08シーズン序盤は苦しむも、徐々に[[ホアキン・カパロス]]新監督の戦術が浸透し、11位で残留を手にした。2008-09シーズンのアスレティックは再び見映えしない結果となり、前シーズンと比べれば早く残留を確実にしたが、順位表の中位でシーズンを終えた。しかしコパ・デル・レイでは、ライバルのオサスナや強豪の[[セビージャFC]]など厄介な相手との対戦を切り抜け、同大会で24年ぶりに決勝に進出した。[[エスタディオ・デ・メスタージャ]]で行われたバルセロナとの決勝には1-4で敗れたが、まったく不名誉な結果ではなく、高額年俸選手揃いのバルセロナはリーグ戦とUEFAチャンピオンズリーグで傑出した結果を残していた。この準優勝により、アスレティックはUEFAカップから名称が変更された[[UEFAヨーロッパリーグ]]の出場権を得た。
 
2009-10シーズンは国内リーグでも欧州の舞台でも着実な進歩を遂げた。レアル・マドリードを破るなど、ホームでは立派な成績を残し、安定して順位表の上半分に位置した。UEFAヨーロッパリーグのグループリーグ、[[ヴェルダー・ブレーメン]](ドイツ)との試合はホーム・アウェーともに完敗したが、[[CDナシオナル]](ポルトガル)と[[FKアウストリア・ウィーン]](オーストリア)からは計4試合で勝ち点10を獲得し、グループ2位で決勝トーナメントに進出した。決勝トーナメント1回戦では[[RSCアンデルレヒト]](ベルギー)と対戦し、ホームでのファーストレグには1-1で引き分けたが、アウェーのセカンドレグに0-4と大敗し、2試合合計1-5で敗退となった。リーグ戦ではアウェーの試合で脆さを見せたが、ホームでは11勝4分4敗の好成績を残し、わずかに欧州カップ戦出場権に及ばない8位でシーズンを終えた。若手有望株の[[ハビ・マルティネス]]、[[マルケル・スサエタ]]、[[オスカル・デ・マルコス]]などが好パフォーマンスを披露し、エースの[[フェルナンド・ジョレンテ]]や16歳の[[イケル・ムニアイン]]がトップチームで飛躍的な成長を遂げた。シーズン終了後には、過去15シーズンに渡ってアスレティックで500試合以上に出場したエチェベリアが現役引退し<ref>[http://jp.uefa.com/uefaeuropaleague/season=2010/matches/round=2000037/match=2000893/prematch/focus/ 最終章を満喫するエチェベリア]Goal.com、2009年12月15日</ref>、赤白のシャツを着て300試合以上に出場した[[フランシスコ・ジェステ]]が突然チームを離れた。
 
2010-11シーズン序盤にはジョレンテが何度も得点してチームを引っ張り、前向きなスタートを切った。アウェーでの成績は不安定であり、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得できる4位への挑戦には不十分であったが、他クラブの不振からUEFAヨーロッパリーグ出場権獲得の可能性が生まれた。シーズン中盤には守備陣に負傷者や出場停止者が多発したが、それまで[[ビルバオ・アスレティック]](Bチーム)のメンバーでしかなかった[[ボルハ・エキサ]]がセンターバックのポジションに入り、堅実なプレーでシーズン終了までレギュラーを務めた。10代のムニアインはほとんどすべての試合に左ウイングとして先発出場し、巧妙なプレーでジョレンテや[[ガイスカ・トケーロ]]などのフォワードにパスを供給した。18歳の[[ホン・アウルテネチェ]]もまたカパロス監督に強い印象を残し、深刻な怪我でシーズンを一足早く終えるまでは左サイドバックのレギュラーを務めた。シーズン終了前にはU-21スペイン代表の[[アンデル・エレーラ]]との契約が順調に進み、アスレティックはリーグ戦6位で欧州カップ戦の舞台への復帰を決めた。
 
==== ビエルサ監督時代 ====
2011-12シーズン前にはソシオ(クラブ会員)全員が参加した会長選が行われ、現職のフェルナンド・ガルシア・マクア会長は、選手として長くアスレティックに在籍した[[ホス・ウルティア]]に敗北<ref>[http://novajika.com/news/detail_soccer.cgi?id=509 A・ビルバオ、新会長就任で大変革]WOWOWリーガニュース、2011年7月8日</ref>。ウルティア新会長の公約には[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン代表]]前監督の[[マルセロ・ビエルサ]]招聘が含まれており<ref>[http://www.goal.com/jp/news/73/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3/2011/07/01/2555228/%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%AA%E4%BC%9A%E9%95%B7%E5%80%99%E8%A3%9C%E3%83%93%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B5%E6%8B%9B%E3%81%B8%E3%81%84%E3%82%92%E5%85%AC%E7%B4%84 ビルバオ会長候補、ビエルサ招へいを公約]Goal.com、2011年7月1日</ref>、その公約通りビエルサが監督に就任した。ビエルサ監督は[[2010 FIFAワールドカップ]]で[[サッカーチリ代表|チリ代表]]をベスト16へと導いており、2002-03シーズンまで指揮を執ったハインケス監督(ドイツ)以来、8シーズンぶりの外国人監督であった<ref>[http://number.bunshun.jp/articles/-/179420 伝統を放棄して180度の方向転換。“革新派”A・ビルバオの魅力。] Number Web、2011年12月15日</ref><ref>[http://number.bunshun.jp/articles/-/213854 バルサファンも絶賛するA・ビルバオ。欧州で話題沸騰中の超攻撃サッカー。] Number Web、2012年4月4日</ref>。在任期間中にアスレティックの名声を回復したカパロス監督は契約満了によりアスレティックを去った。ビエルサ監督は型にはまらないフォーメーションや戦術を採用し、チームの変革に取り組んだ。何人かの選手は本来のポジションとは異なるポジションでプレー。[[2010 FIFAワールドカップ]]優勝メンバーのハビ・マルティネスは足元の技術を見込まれてセンターバックに転向し、デ・マルコスは本来ミッドフィールダーであるが左サイドバックとしても起用された。シーズン序盤の成績は不安定であり、エレーラの負傷離脱などもあったが、シーズンが進むにつれて選手たちは戦術変更に適応し始め、7節のバスク・ダービーに勝利してシーズン初勝利を挙げると、2011年秋には[[パリ・サンジェルマンFC]](UEFAヨーロッパリーグ)、オサスナ、セビージャなどに勝利し、[[バレンシアCF]]やバルセロナなどから勝ち点1をもぎ取った。6節から19節までの15試合で敗れたのは[[グラナダCF]]戦の1試合のみであった。UEFAヨーロッパリーグではグループリーグを首位で通過し、決勝トーナメント1回戦では[[FCロコモティフ・モスクワ]](ロシア)を撃破。決勝トーナメント2回戦では[[マンチェスター・ユナイテッドFC]](イングランド)と対戦し、[[オールド・トラッフォード]]で行われたファーストレグに3-2で勝利すると、ホームで行われたセカンドレグに2-1で勝利して2試合合計5-3での勝ち上がりを決めた。[[シャルケ04]](ドイツ)と対戦した準々決勝ファーストレグでは、相手フォワードの[[ラウール・ゴンサレス]]が2得点を挙げるなど、72分の時点で1-2とリードされていたが、その後アスレティックが立て続けに得点して4-2で勝利した。セカンドレグは2-2の引き分けで終え、2試合合計6-4で[[スポルティング・リスボン]]との準決勝進出を決めた。ポルトガルで行われた準決勝ファーストレグには1-2で敗れたが、セカンドレグは89分のジョレンテの得点などで3-1と勝利し、2試合合計4-3で決勝進出を決めた。5月9日にルーマニアの首都ブカレストにある[[スタディオヌル・ナツィオナル|アレーナ・ナツィオナラ]]で行われた決勝では、[[アトレティコ・マドリード]]に0-3で敗れて準優勝に終わった<ref>[http://www.goal.com/jp/match/79438/%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B3%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC-vs-%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%AC%E3%83%81%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%AA/report 轟くファルカオの咆哮、アトレティコが2シーズンぶりのEL制覇]Goal.com、2012年5月10日</ref>
 
== スタジアム ==
11,106

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