「知多鉄道」の版間の差分

冒頭テンプレート追加、各部加筆修正
m
(冒頭テンプレート追加、各部加筆修正)
{{基礎情報 会社
|社名 = 知多鉄道
|英文社名 =
|ロゴ =
|画像 =
|画像説明 =
|種類 = [[株式会社]]
|市場情報 =
|略称 =
|国籍 = {{JPN}}
|本社郵便番号 =
|本社所在地 = [[愛知県]][[名古屋市]][[南区 (名古屋市)|南区]]熱田東町字新宮坂34<ref name="ndl2957781" />
|設立 = [[1927年]][[11月24日]]{{refnest|group="注釈"|会社設立総会開催日<ref name="meitetsu1961_p302" />。1926年(大正15年)11月に発起人集会を開催、当時の社名は知多電気鉄道<ref name="meitetsu1961_p302" />。}}
|業種 = [[:Category:かつて存在した日本の鉄道事業者|鉄軌道業]]
|事業内容 = 旅客鉄道事業
|代表者 = 代表取締役社長 [[藍川清成]]<ref name="meitetsu1961_p302" />
|資本金 = 300万<ref name="meitetsu1961_p302" />
|発行済株式総数 =
|売上高 =
|営業利益 =
|経常利益 =
|純利益 =
|純資産 =
|総資産 =
|従業員数 =
|決算期 =
|主要株主 = [[名古屋鉄道#愛知電気鉄道|愛知電気鉄道]] 33.3 [[パーセント|&#37;]]<ref name="meitetsu1961_p302" />
|主要子会社 =
|関係する人物 =
|外部リンク =
|特記事項 =
}}
{| {{Railway line header}}
{{BSUKrail-header|知多鉄道線|#ddd}}
{{BS-daten
| LNGE = 28.8
== 歴史 ==
=== 前史 ===
大正年間当時、知多半島東岸より[[名古屋市]]中心部への公共交通手段は、[[鉄道省]]の運営する[[武豊線]]のみであったが<ref name="JTBC-R131_p153" />、武豊線は列車運行本数の少なさや所要時分が長いことなどから利用者にとって不便な路線であった<ref name="RP473_p73" />。そのため、地元住民による願もあり<ref name="meitetsu1961_p153" />、愛知電気鉄道(愛電)は[[1912年]](大正元年)12月に、当時建設中であった同社常滑線の[[尾張横須賀駅]]より分岐して半田に至る「半田線」の敷設免許を取得<ref name="meitetsu1961_p149-150" />、測量に取り掛かると同時に敷設する[[軌条]](レール)の手配を進めた<ref name="RP370_p149meitetsu1961_p155-156" />。しかし、同時期の経済不況による愛電本体の業績悪化から半田線は測量を終え境界標を設置した段階で建設が中断され<ref name="RP370_p149meitetsu1961_p155-156" /><ref name="ndl1020258" />。結局半田線は[[1915年]](大正4年)12月に免許失効を迎え、半田線は幻の路線に終わった<ref name="meitetsu1961_p302" /><ref name="meitetsu1961_p155-156" />{{refnest|group="注釈"|これは既存路線と競合関係となる半田線の建設を見送り、半田線と比較して敷設距離がより短く、かつ沿線人口の多い有松線(後の愛電豊橋線、現・[[名鉄名古屋本線]]の一部)の建設に注力するという経営判断が下されたことによるものであった<ref name="meitetsu1961_p155-156" />。}}
 
その後、[[1924年]](大正14年)に半田・河和地区の有力者であった小栗四郎・中埜良吉・中埜半左衛門・榊原伊助らによって、知多半島東岸南部の河和に至る'''知多電気鉄道'''が計画された<ref name="meitetsu1961_p302" />。小栗らは愛電側に指導協力を求め、1926年(大正15年)11月に愛電常滑線の太田川より分岐して河和に至る路線の敷設免許が交付されたことを機に発起人集会を開催<ref name="meitetsu1961_p302" />、資本金は300万とし、うち100万を愛電が引き受けることが決定された<ref name="meitetsu1961_p302" />。翌[[1927年]](昭和2年)11月に会社設立総会を開催し、社名を'''知多鉄道'''と変更するとともに、代表取締役社長には当時愛電の社長職にあった[[藍川清成]]が就任、愛電の傍系事業者として正式に設立された<ref name="meitetsu1961_p302" />。
翌[[1932年]](昭和7年)7月には成岩 - [[河和口駅|河和口]]間10.0 kmが延伸開業した<ref name="RP473_p81" />。同時期には鉄道省によって武豊線[[武豊駅]]から南知多方面への[[乗合バス]]の運行が計画された<ref name="meitetsu1961_p303" />。そのため、知多鉄道は対抗策として列車増発のほか、[[1933年]](昭和8年)7月に[[住吉町駅|農学校前]]・[[青山駅 (愛知県)|南成岩]]・[[浦島駅|浦島]]の3駅を開業し半田地区における利便性を向上させた<ref name="meitetsu1961_p303" />。さらに知多半島一円において乗合バス事業を展開した知多自動車(現・[[知多乗合]])の発行株式の過半を取得して子会社化するなど対抗手段を講じた結果、鉄道省による乗合バス運行計画は撤回されるに至った<ref name="meitetsu1961_p303" />。
 
河和口以南は用地買収の遅れから建設が停滞し<ref name="meitetsu1961_p303" />、約3年後の1935年(昭和10年)8月に河和口 - 河和間3.0 kmが延伸開業し、全線が開通した<ref name="RP473_p81" />。河和より先、知多半島を横断して半島西岸の[[知多郡]][[内海町 (愛知県)|内海町]]に至る路線延伸計画も検討されたが、こちらは具現化することなく終わった<ref name="meitetsu1961_p303" />{{refnest|group="注釈"|内海町への鉄道路線延伸は、過去には愛電が前述半田線敷設計画と同時期に常滑線を半島西岸沿いに延伸する形で計画し、1912年(大正元年)8月に敷設免許を取得していたが<ref name="meitetsu1961_p149-150" />、こちらも半田線と同様の事情により1915年(大正4年)11月に免許が失効していた<ref name="meitetsu1961_p155-156" />。内海町(後の[[南知多町]]内海地区)への鉄道路線延伸が実現したのは、現・名鉄成立後に河和線[[富貴駅]]より分岐する[[名鉄知多新線|知多新線]]が建設され<ref name="RP473_p81" />、[[内海駅|内海]]までの全線が開通した[[1980年]](昭和55年)6月のことであった<ref name="RP473_p81" />。}}
 
=== 全線開通後 ===
 
== 運行ダイヤ ==
[[1934年]](昭和9年)12月当時のダイヤにおいては、特急が1日1往復設定され、急行が7 - 22時台まで上下とも60分間隔で運行、その間に普通列車が設定された<ref name="RP370_p150" />。特急は知多半田 - 神宮前間27.3 kmを27分(表定速度60.7 [[キロメートル毎時|km/h]])、急行は同区間を32分(表定速度51.2 km/h)で結んだび<ref name="RP370_p150" />、開業当初の所要時分(特急30分・急行35分)と比較して2 - 3分の時間短縮が図られている<ref name="RP370_p150" />。急行は[[1940年]](昭和15年)9月時点では同区間の所要時分が30分とさらに短縮され、表定速度は54.6 km/hに向上した<ref name="RP370_p150" />。
 
その他、1932年(昭和7年)から[[1936年]](昭和11年)にかけて、神宮前 - 河和間に臨時の海水浴特急「ちどり」が夏季限定で運行された<ref name="RP370_p150" />。同列車にはデハ910形の2両編成を充当、運行時には専用のイラスト入りヘッドマークが前頭部に掲出され、神宮前 - 河和間41.3 kmを44分で結んだ<ref name="RP370_p150" />。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<!--=== 注釈 ===
{{reflist|group="注釈"}}-->
=== 出典 ===
{{Reflist|2|refs=
<ref name="ndl1020258">[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020258/173 『半田町史』 p.279](国立国会図書館近代デジタルライブラリー)</ref>
<ref name="ndl2956427">[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2956427/3 「鉄道免許状下付」『官報』1926年11月25日](国立国会図書館デジタル化資料)</ref>
<ref name="ndl1022006">[http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1022006/12 『鉄道統計資料. 昭和2年』](国立国会図書館近代デジタルライブラリー)</ref>
<ref name="ndl2957769">[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2957769/9 「地方鉄道運輸開始」『官報』1931年5月5日](国立国会図書館デジタル化資料)</ref>
<ref name="ndl2957781">[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2957781/15 「株券無効公告」『官報』1931年5月19日](国立国会図書館デジタル化資料)</ref>
<ref name="ndl2958127">[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2958127/22 「地方鉄道運輸開始」『官報』1932年7月8日](国立国会図書館デジタル化資料)</ref>
<ref name="ndl2958193">[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2958193/10 「鉄道免許状下付」『官報』1932年9月24日](国立国会図書館デジタル化資料)</ref>
<ref name="ndl1190630">[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1190630/60 『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和10年4月1日現在』](国立国会図書館近代デジタルライブラリー)</ref>
<ref name="ndl2959064">[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2959064/8 「地方鉄道運輸開始」『官報』1935年8月14日](国立国会図書館デジタル化資料)</ref>
<ref name="meitetsu1961_p149-150">[[#meitetsu1961|『名古屋鉄道社史』 pp.149 - 150]]</ref>
<ref name="meitetsu1961_p153">[[#meitetsu1961|『名古屋鉄道社史』 p.153]]</ref>
<ref name="meitetsu1961_p155-156">[[#meitetsu1961|『名古屋鉄道社史』 pp.155 - 156]]</ref>
<ref name="meitetsu1961_p201-202">[[#meitetsu1961|『名古屋鉄道社史』 pp.201 - 202]]</ref>
<ref name="meitetsu1961_p302">[[#meitetsu1961|『名古屋鉄道社史』 p.302]]</ref>
 
== 参考資料 ==
=== 電子資料 ===
* 愛知県半田町 編 [http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020258 『半田町史』] 半田町 1926年 [[国立国会図書館]]近代デジタルライブラリー
 
=== 書籍 ===
* {{Anchor|meitetsu1961|名古屋鉄道株式会社社史編纂委員会 『名古屋鉄道社史』 名古屋鉄道 1961年5月}}