「知多鉄道」の版間の差分

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(発起人経歴)
[[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]]電化・軌間1,067 [[ミリメートル|mm]]([[狭軌]])の路線として開業した知多鉄道線は、当初より愛電常滑線と[[直通運転|相互直通運転]]を行い<ref name="meitetsu1961_p303" />、[[知多半田駅|知多半田]]から愛電の名古屋市内における拠点駅である[[神宮前駅|神宮前]]までを最速35分で結び<ref name="RP473_p73" />、従来知多半島東岸における唯一の公共交通機関であった武豊線が[[半田駅|半田]] - [[熱田駅|熱田]]間に1時間半を要していたのと比較して大幅な所要時分短縮を実現した<ref name="RP473_p73" />。さらに知多半田 - 神宮前間の運賃を、武豊線の半田 - 熱田間と同額に設定したこともあり、知多鉄道線は武豊線に代わって半田地区における主たる公共交通手段として定着した<ref name="RP473_p73" />。また前述の通り、知多鉄道線の運営は愛電に委託され、実質的に愛電の一路線として愛電との連絡運輸を緊密に行った<ref name="RP370_p149" />。
 
翌[[1932年]](昭和7年)7月には成岩 - [[河和口駅|河和口]]間10.0 kmが延伸開業した<ref name="RP473_p81" />。同時期には鉄道省によって武豊線[[武豊駅]]から南知多方面への[[乗合バス]]の運行が計画された<ref name="meitetsu1961_p303" />。そのため、知多鉄道は対抗策として列車増発のほか、[[1933年]](昭和8年)7月に[[住吉町駅|農学校前]]・[[青山駅 (愛知県)|南成岩]]・[[浦島駅|浦島]]の3駅を開業し半田地区における利便性を向上させた<ref name="meitetsu1961_p303" />。さらに知多半島一円において乗合バス事業を展開した知多自動車{{refnest|group="注釈"|1934年時点路線網、車両<ref>[http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1234531/2161/164 『全国乗合自動車総覧』](国立国会図書館近代デジタルライブラリー)</ref>。}}(現・[[知多乗合]])の発行株式の過半を取得して子会社化するなど対抗手段を講じた結果、鉄道省による乗合バス運行計画は撤回されるに至った<ref name="meitetsu1961_p303" />。
 
河和口以南は用地買収の遅れから建設が停滞し<ref name="meitetsu1961_p303" />、約3年後の1935年(昭和10年)8月に河和口 - 河和間3.0 kmが延伸開業し、全線が開通した<ref name="RP473_p81" />。河和より先、知多半島を横断して半島西岸の[[知多郡]][[内海町 (愛知県)|内海町]]に至る路線延伸計画も検討されたが、こちらは具現化することなく終わった<ref name="meitetsu1961_p303" />{{refnest|group="注釈"|内海町への鉄道路線延伸は、過去には愛電が前述半田線敷設計画と同時期に常滑線を半島西岸沿いに延伸する形で計画し、1912年(大正元年)8月に敷設免許を取得していたが<ref name="meitetsu1961_p149-150" />、こちらも半田線と同様の事情により1915年(大正4年)11月に免許が失効していた<ref name="meitetsu1961_p155-156" />。内海町(後の[[南知多町]]内海地区)への鉄道路線延伸が実現したのは、現・名鉄成立後に河和線[[富貴駅]]より分岐する[[名鉄知多新線|知多新線]]が建設され<ref name="RP473_p81" />、[[内海駅|内海]]までの全線が開通した[[1980年]](昭和55年)6月のことであった<ref name="RP473_p81" />。}}。
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