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この時期の著名な悪党が、12世紀から[[14世紀]]にかけて東大寺領黒田荘(伊賀国)で活躍した「黒田悪党」大江氏である。12世紀から代々と同荘[[下司]]職を勤める大江氏は、13世紀後半に黒田荘への支配権を強化しようと画策し、東大寺と対立してついに悪党と呼ばれるようになり、最終的には東大寺の要請を受けた[[六波羅探題]]に鎮圧された。しかし、代わって同荘荘官職についた大江氏一族もまた、年貢納入を行わないなど東大寺との対立を深め、[[供御人]]と称して朝廷と直接結ぼうとし、これを鎮圧するはずの伊賀国[[守護]]、同御家人らと結んで、黒田荘を実質的に支配するに至った。結局大江氏は六波羅探題に再び鎮圧されたが、ともかくも、この事例は経済的な成長を果たそうとしている[[在地領主]]が[[荘園領主]]の抑圧を受けたときに悪党となることを示した典型例である。このほか、鎌倉幕府倒幕時に[[後醍醐天皇]]方についた[[楠木正成]]([[河内国]])、[[赤松氏]]([[播磨国]])、[[名和長年]]([[伯耆国]])、瀬戸内海の海賊衆らは、悪党と呼ばれた人々だったと考えられている。
 
悪党は[[南北朝時代 (日本)|南北朝内乱期]]にも活動しているが、内乱が終わった14世紀後半、悪党活動によって荘園公領室町幕府から任命された守護は、知行国内支配体系が弱体在地領主層:国人を被官化し、[[守護大名]]や[[国人]]らによる本所一円地(=として支配を強めた。そして荘園)への侵略が進むとと守護大名の主導で行われるようなりそれまでも悪党によって支配体制を弱体化させていた本所側のは、これに対抗するが衰えを失っしまいた。こした趨勢の中本所の支配を侵す悪党という実態は、次第に見られなくなった。
 
== 研究史 ==