「榊原英資」の版間の差分

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[[横浜国立大学教育人間科学部附属鎌倉中学校|横浜国大鎌倉中学校]]、[[東京都立日比谷高等学校|都立日比谷高校]]卒。日比谷高校時代に米国へ交換留学。[[東京大学]]に進学し[[経済学部]]卒。
 
[[大学院]]進学後、時の大蔵省大臣官房秘書課長であった[[高木文雄]]に面会し、優の数を増やし、国家公務員上級職試験50番以内で採用条件にすることを告げられる。上級職試験では「経済」で受験、14番で合格し、[[東京大学]]大学院修士課程(理論経済)修了後に[[大蔵省]]入省、それでも同期中下から2番目での入省であった<ref>『財務省』 榊原英資([[新潮新書]]、[[2012年]]) 84ページ</ref><ref>大蔵省の同期事務次官となったのは[[薄井信明]]。ほか同期に[[竹島一彦]]、[[浜田卓二郎]]、[[藤川鉄馬]](印刷局長)、[[白石忍]]([[オリックス]]社長)、[[山川紘矢|山川俊宏]]([[翻訳家]])、[[鏡味徳房]]など。</ref>。入省後すぐに[[ピッツバーグ大学]]及び[[ミシガン大学]]に留学。ミシガン大学大学院博士課程修了。[[学位]]は[[博士 (経済学)|経済学博士(ミシガン大学)]]。
[[1977年]]、官僚批判・自民党政治批判と受け取られかねない論文を出し、[[竹内道雄]]事務次官、[[長岡實]]官房長により[[埼玉大学]]教養学部助教授に一旦出される。この頃、[[新自由クラブ]]からの出馬を検討した。その後大蔵省に復職、通常は最終ポストとされることの多い財政金融研究所所長を務めていたが、当時の[[武村正義]]蔵相の強い意向のもと、[[行天豊雄]]らの後押しもあり、[[久保田勇夫]]国際金融局次長(現・[[西日本シティ銀行]]頭取)を押しのけた恰好で国際金融局長に就任。