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{{日本の寺院
[[画像:Eisanji hondou.JPG|thumb|栄山寺本堂と石灯籠(重文)および「栄山寺行宮跡」の史跡を示す石柱]]
|名称 = 栄山寺
|画像 = [[画像:Eisanji hakkakudou.JPG|260px]]<br>八角堂(国宝)
|所在地 = [[奈良県]][[五條市]]小島町503
|位置 = {{ウィキ座標2段度分秒|34|21|21.4|N|135|43|14.4|E|region:JP}}
|山号 = 学晶山
|宗旨 =
|宗派 = [[真言宗豊山派]]
|寺格 =
|本尊 = [[薬師如来]]
|創建年 = 伝 [[養老]]3年([[719年]])
|開基 = 伝 [[藤原武智麻呂]]
|中興年 =
|中興 =
|正式名 =
|別称 =
|札所等 =
|文化財 = 八角堂・梵鐘(国宝)<br />八角堂内陣装飾画・木造薬師如来坐像・木造十二神将立像・石灯篭・石塔婆(国重要文化財)<br />栄山寺行宮跡(国史跡)
|公式HP =
|公式HP名 =
}}
'''栄山寺'''(えいさんじ)は、[[奈良県]][[五條市]]にある[[真言宗豊山派]]の[[寺院]]。[[藤原武智麻呂]]により創建された。山号は学晶山(がくしょうさん)。本尊は[[薬師如来]]。奈良時代の建築である[[八角堂]](国宝)があることで知られる。
 
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現代の五條市にあたる地域は古代には阿陀郷と呼ばれた。「阿陀」の地名は『万葉集』にも見え、式内社(『延喜式神名帳』に記載された神社)の阿陀比売神社(あだひめじんじゃ)があるなど早くから開けた地域であったと思われる。
 
栄山寺は古くは前山寺(さきやまでら)と呼ばれ、[[藤原不比等]]の長子である[[藤原武智麻呂|武智麻呂]]が[[養老]]3年([[719年]])に創建したと伝わる。その後、武智麻呂を祖とする[[藤原南家]]の菩提寺として鎌倉時代になるまで大いに栄えた。南北朝時代には南朝の[[後村上天皇|後村上]]・[[長慶天皇|長慶]]・[[後亀山天皇]]の行在所が置かれていた。そのため「栄山寺行宮跡」として国の[[史跡]]に指定されている。
 
[[画像:Eisanji hakkakudouhondou.JPG|thumb|栄山寺八角と石灯籠国宝重文および「栄山寺行宮跡」の史跡を示す石柱]]
現存する八角堂は、藤原武智麻呂の没後、子の[[藤原仲麻呂]]が父の菩提を弔うために建立したと伝える。武智麻呂の墓は当初は佐保山(奈良市街地北部の丘陵地)にあったが、[[天平宝字]]4年([[760年]])、栄山寺北側の山上に改葬された。八角堂の建立時期はこの年から仲麻呂の没した天平宝字8年([[764年]])までの5年間に絞られる。[[正倉院文書]]に天平宝字7年([[763年]])12月20日付けの「造円堂所牒」(ぞうえんどうしょちょう)という文書があり、この「円堂」は栄山寺八角堂を指すものと考証されている。