「マルセル・カルネ」の版間の差分

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[[1936年]]にロゼー主演の『ジェニイの家』でデビューすると、[[1938年]]に『霧の波止場』で[[ヴェネツィア国際映画祭]]監督賞と[[ルイ・デリュック賞]]を受賞。デビュー2年目でフランスを代表する巨匠としての名声を得る。
 
[[第ニ次世界大戦]]、[[ナチス]]に[[フランス]]が占領され、フェデー、[[ルネ・クレール]]、[[ジュリアン・デュヴィヴィエ]]、[[ジャン・ルノワール]]といったほとんどの映画人が[[アメリカ]]に亡命する中、国内に残留したカルネは、[[脚本家]]の[[ジャック・プレヴェール]]と組んで[[1942年]]に『悪魔が夜来る』を発表。政治的にも経済的にも映画制作が困難な状況の下、反[[ファシズム]]の姿勢を貫いた。
 
パリ解放後の[[1945年]]、フランス映画史に今も燦然と輝く名作『[[天井桟敷の人々]]』を再びプレヴェールと組んで発表。その後も[[エミール・ゾラ]]原作の『[[嘆きのテレーズ]]』を監督するが、[[1960年代]]以降台頭した[[ヌーヴェルヴァーグ]]の時代に入ると低迷し、青年たちの非行問題を取り上げた『危険な曲がり角』で[[フランス・シネマ大賞]]を受賞したのみだった。
 
[[1978年]]に[[セザール賞]]の名誉賞を、[[1995年]]には[[ヨーロッパ映画賞]]の生涯功労賞を受賞している。
 
== 主な監督作品 ==