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[[File:ChandraguptaIIOnHorse.jpg|right|250px|thumb|チャンドラグプタ2世を描いた金貨]]
'''チャンドラグプタ2世'''('''Chandragupta II'''、生没年不詳、在位:[[376年]] - [[415年]])は、古代[[インド]]の[[グプタ朝]]第3代の王。自らを「武勇の太陽([[ヴィクラマーディティヤ]]、Vikramaditya)(Vikramaditya)と名乗り、[[東晋]]の僧である[[法顕]]の記した『[[仏国記]]』では'''超日王'''と呼ばれている。第2代の王[[サムドラグプタ]]から王朝を受け継ぎ、その最盛期を築いた。
 
==生涯==
'''チャンドラグプタ2世'''('''Chandragupta II'''、生没年不詳、在位:[[376年]] - [[415年]])は、古代[[インド]]の[[グプタ朝]]第3代の王。自らを「武勇の太陽」(Vikramaditya)と名乗り、[[東晋]]の僧である[[法顕]]の記した『[[仏国記]]』では'''超日王'''と呼ばれている。第2代の王[[サムドラグプタ]]から王朝を受け継ぎ、その最盛期を築いた。
 
イラン系のサカ朝([[西クシャトラパ]])を下し、西は[[アラビア海]]、北は[[ヒマラヤ山脈]]の麓に至る領域を支配。[[デカン高原]]の{{仮リンク|ヴァーカータカ朝|en|Vakataka dynasty}}や[[パンジャーブ]]諸国はグプタ朝に臣下の礼を取り、事実上インドの全域を支配下に治めて、その領域を最大のものとした。
 
また、グプタ朝の文化的全盛期は5世紀頃であり、チャンドラグプタ2世の統治下においてその端緒が開かれて次代の{{仮リンク|クマーラグプタ1世|en|Kumaragupta I}}の時代にわたって繁栄した。

チャンドラグプタ2世の時に宮廷に仕えた詩人で戯曲作家の[[カーリダーサ]]が[[サンスクリット]]文学の傑作『[[シャクンタラー]]』を発表した。説話集『[[パンチャタントラ]]』が編纂されたのもおおよそこの時期であると考えられている。

また、民間では[[ヒンドゥー教]]が隆盛する一方で、[[仏教]]もその研究においては盛んであった。また[[アジャンター石窟]]寺院が再び活動を始めたのもこの時期といわれる。
 
==関連項目==
*[[グプタ朝]]
 
{{先代次代|[[グプタ朝]]の君主|[[320年]]頃 - [[550年]]頃|[[サムドラグプタ]]|{{仮リンク|クマーラグプタ1世|en|Kumaragupta I}}}}
 
{{DEFAULTSORT:ちやんとらくふた2}}