「江戸三座」の版間の差分

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→‎猿若町: 中村座火事の項。中村座が火元だということ。日付。藤岡屋日記より。
→‎猿若町: 火事の日付修正。徳川実紀による
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{{small|天保13年の猿若町。中央左に中村座、その右に市村座がみえる。その右の雲で被われているところは遅れて移転することになっていた河原崎座の予定地。}}]]
 
[[天保]]12年(1841年)10月67日、中村座が失火にて全焼、火災は堺町・葺屋町一帯に延焼し、市村座も類焼して全焼した。浄瑠璃の薩摩座と人形劇の結城座も被災した。
 
折しも[[徳川幕府|幕府]]では、[[老中]]首座の[[水野忠邦]]を中心に[[天保の改革]]が推進されていた。改革は逼迫した幕府の財政を立て直すことを目的としたものだったが、水野はこれと同時に倹約令によって町人の贅沢を禁じ、風俗を取り締まって庶民の娯楽にまで掣肘を加えた。特に歌舞伎に対しては、[[市川團十郎_(7代目)|七代目市川團十郎]]を奢侈を理由に江戸所払いにしたり、役者の交際範囲や外出時の装いを限定するなど、弾圧に近い統制下においてこれを庶民へのみせしめとした。