「北条時実」の版間の差分

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'''北条 時実'''(ほうじょう ときざね)は、[[鎌倉時代]]前期の[[北条氏]]の一族。[[鎌倉幕府]]第3代[[執権]]・[[北条泰時]]の次男。母は[[継室]]の[[安保実員]]の娘。
 
== 生涯 ==
第4代将軍・[[九条頼経]]の側近として仕えるが、[[嘉禄]]3年([[1227年]])6月18日、六堂供養を翌日に控えて御家人達が大勢鎌倉へ集う喧噪の中、家人である高橋次郎によって殺害された<ref name="北条時頼p8"> 高橋慎一朗 著『人物叢書‐北条時頼』吉川弘文館、2013年、p.8</ref><ref>『北条泰時』〈人物叢書〉74頁。</ref>。享年16<ref name="北条時頼p8"/><ref>『北条泰時』〈人物叢書〉74頁。</ref>。原因は不明だが、他にも仲間の御家人3人も殺害されている。高橋次郎は直ちに捕らえられ、即日[[腰越]]で斬刑に処せられた<ref name="北条時頼p8"/>。当日夜には時実の乳母父である[[尾藤景綱]]が出家している。
 
原因としては仕事上のトラブルなどが考えられている<ref name="北条時頼p8"/>。ただ、高橋家はこれで断絶したわけではなく、その系統は[[北条重時]]の家臣となって存続しているため、時実殺害には情状酌量すべき事情があったとも推測されている<ref name="北条時頼p9"> 高橋慎一朗 著『人物叢書‐北条時頼』吉川弘文館、2013年、p.9</ref>。
 
翌日の六堂供養はこの事件によって延期された。
 
この3年後の同日に奇しくも異母兄の時氏も死去し<ref name="北条時頼p12"> 高橋慎一朗 著『人物叢書‐北条時頼』吉川弘文館、2013年、p.12</ref><ref>『北条泰時』〈人物叢書〉75頁。</ref>、後継の男子を失った泰時は、孫の[[北条経時|経時]]を次期執権として養育する事になる<ref name="北条時頼p14"> 高橋慎一朗 著『人物叢書‐北条時頼』吉川弘文館、2013年、p.14</ref>
 
== 脚注 ==
=== 註釈 ===
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{{Reflist|group="註"}}
 
=== 出典 ===
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== 参考文献 ==
;書籍
* [[上横手雅敬]]『北条泰時』[[吉川弘文館]]〈[[人物叢書]]〉、[[1988年]]新装版(1958年発刊)ISBN 4-642-05135-X
* [[高橋慎一朗]]『北条時頼』[[吉川弘文館]]〈人物叢書〉、[[2013年]]
;史料
 
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