「アントワーヌ・ブールデル」の版間の差分

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==略歴==
[[画像:Old hyogo prefectural office bld06 2048.jpg|thumb|200px|「アダム」([[兵庫県公館]]前庭)]]
ブールデルは、フランスの[[タルヌ=エ=ガロンヌ県]][[モントーバン]]で生まれた。13歳のときに彼は、父のキャビネット作成の店で木版工になるために学校を辞めている。その後彼は、モントーバンで[[オーギュスト・アングル|アングル]]美術館の創設者に絵画を学び、[[トゥールーズ]]の美術学校で彫刻を学んだ。24歳の時に彼は[[パリ]]の[[エコール・デ・ボザール]]の奨学生となった。
 
1888年に彼は最初の[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーベン]]像を作成した。この作品において彼は、特徴の強調・幾何学・構築と発明の精神などを表現している。
 
ブールデルは20世紀の彫刻のパイオニアの一人となった。[[オーギュスト・ロダン]]はブールデルの仕事の賛美者になった。そして、1893年にブールデルはロダンのアシスタントとなる。ブールデルは先生としても人気があり、多くの優れた芸術家が彼のクラスから生まれた。
 
晩年、彼は何度か記念碑作成の依頼を受け、パリのサロン・ド・テュイルリーの創設者兼副社長となった。また、1924年には[[レジオンドヌール勲章]]も受けている。
 
1929年に。パリ近郊のル・ヴェジネで死亡。パリの[[モンパルナス墓地]]に埋葬されている。