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小学時代は、[[福岡県]][[福岡市]][[東区 (福岡市)|東区]]にあるソフトボールチーム[[奈多クラブ]]に所属。
中学時代は、
PL学園高校時代は、故障もあって甲子園出場は無かった(同期生に[[前田新悟]]、[[中村順司]]監督の長男[[中村猛安]])。しかし、長身から繰り出されるストレートなど潜在能力の高さを買われ、[[千葉ロッテマリーンズ]]にドラフト6位で入団。
===千葉ロッテマリンーズ時代===
▲[[2002年]]、5年間で一度も1軍登板の無いまま戦力外通告。
===中日ドラゴンズ 打撃投手時代===
[[2002年]]シーズン終了後、
===米独立リーグ時代===
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===台湾プロ野球時代===
[[2008年]]、[[台湾]]・[[中華職業棒球大聯盟]]の[[兄弟エレファンツ]]の入団テストに合格し、入団。10勝6敗、防御率2.66という好成績を挙げ、台湾プロ野球のゴールデングラブ賞に当たる『金手套』を獲得した。[[2009年]]は9勝したが、台湾シリーズには出場できず、この年限りで退団となった。
===メキシコウインターリーグ時代===
[[2010年]]8月より、メキシコのウィンターボールに参加。Chileros de Xalapaに入団、唯一の日本人としてプレー。シーズン途中にGallos de Mendozaに移籍。チームのプレーオフ進出に貢献。シーズン終了後、メキシコ、アメリカにてメジャーリーグ数球団のスカウトを迎えトライアウトを実施、好評価を得るも契約には至らなかった。
===メキシコ北部リーグ時代===
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===韓国独立球団時代===
[[2012年]]2月、韓国に誕生したばかりの独立球団・[[高陽ワンダーズ]]への入団が決まった(登録名:고바야시)。主に中継ぎ、抑えとして起用されロングリリーフ、連投と中継ぎエースとしてフル回転。チーム最多登板数(28試合)、チーム最多投球回(81回)を達成し球団創設初年度の主軸として活躍。[[2013年]]は元[[広島カープ]]の[[ディオーニ・ソリアーノ]]、[[元横浜ベイスターズ]]の[[ルイス・ゴンザレス]]、元[[サンフランシスコジャイアンツ]]の[[オシリス・マトス]]など先発陣が安定しロングリリーフなどの登板機会は減るも、同年も中継ぎエースとしてチーム最多登板(29試合)、10セーブを挙げた。
==プレースタイル==
*140km/h台中盤の速球に2種類のツーシーム、カーブ、フォーク、スライダー、チェンジアップを投げる。最速は94マイル(約151km/h)。
*主にツーシームを軸にして早いカウントで打ち取るなど「ボールを動かす」ことに長けた投手である。
== 人物 ==
日本、アメリカ、カナダ、台湾、メキシコ、韓国でプレーする中で日本と海外の野球観の違いなどについて学ぶ。プロ野球選手である傍ら「夢を持つこと」、「自分らしく生きることの素晴しさ」などを組織や肩書きに囚われること無く、野球を通じて表現し伝えたいという願いから「ベースボールアーティスト」と称している。その活動の一環としてオフシーズンは期間限定で子どもから大人までを対象にしたベースボールクリニックや、講演会なども開催。2013年10月12日、[[室井昌也]]主催でトークライブを[[博多リバレイン]]([[福岡市]][[博多区]])で開催した
プロ野球の合同[[トライアウト]]には[[2002年]](2度)[[2005年]](1度)[[2006年]](2度)[[2007年]](2度)[[2012年]](1度)参加している。
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* '''25''' (2011年)
* '''20''' (2012年 - 2013年 )
=== 登録名 ===
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