「三國連太郎」の版間の差分

m
リンク切れ
(→‎外部リンク: {{ブルーリボン賞新人賞}})
m (リンク切れ)
== 来歴 ==
=== 生い立ち ===
母親は16歳で一家が離散し[[広島県]][[呉市]]の[[大日本帝国海軍|海軍]][[軍人]]の家に[[年季奉公|女中奉公]]に出され、ここで三國を身籠り追い出されて帰郷した<ref>[http://www.news-postseven.com/archives/20101125_5986.html NEWSポストセブン|三國連太郎 よく殴る父親から逃げるため「家出を繰り返した」]<br />『あの日あの時母の顔 - 私の母語り』 [[小学館]] 1996年 218頁</ref>。たまたま[[静岡県]][[沼津駅]]で知り合った父親となる人物の仕事先だった[[群馬県]][[太田市]]で結婚し三國が生まれた。このため三國は[[嫡出|私生児]]となる。この育ての父親は[[電気工事]]の渡り職人で、三國が生後7か月のとき、一家で父親の故郷・静岡県[[西伊豆]]に戻った<ref name="kinenote" />。その後、三國は[[静岡県立下田高等学校|旧制豆陽中学]]を二年で中退するまで[[土肥町]](現在の[[伊豆市]])で育った<ref>『三國連太郎・沖浦和光対談 上 浮世の虚と実』 (12-15頁、[[解放出版社]] 1997年)、ちくま文庫で再刊、2005年。</ref><ref>『あの日あの時母の顔 - 私の母語り』 212、213頁</ref>。中学時代は水泳部。[[下田港]]から[[密航]]を企て[[青島市|青島]]に渡り、その後[[釜山広域市|釜山]]で弁当売りをし、帰国後は[[大阪]]でさまざまな職に就く<ref name="kinenote" /><ref name="mainichi2013415">[httphttps://archive.is/20130501140206/mainichi.jp/select/news/20130415mog00m040003000c.html 追悼・三國連太郎さん:徴兵忌避の信念を貫いた(特集ワイド「この人と」1999年8月掲載)]毎日jp(毎日新聞) 2013年04月15日</ref>。
 
=== 徴兵、終戦まで ===
4,140

回編集