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古代には[[出羽柵]]や[[国府]]([[城輪柵]])が置かれ、[[畿内]]政権による[[出羽国]]支配の中心地域となった。
[[平安時代]]には大泉、遊佐、櫛引の三[[荘園 (日本)|荘園]]が置かれ、最も栄えた大泉荘がこの地方の代名詞となった。大泉荘内(大泉荘園内の地)から荘内(庄内)の呼び名が生まれ、[[16世紀]]頃に定着したと考えられている。
[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には、[[大宝寺氏]]・[[東禅寺氏]]らがこの地方を治めたが、やがて[[最上氏]]と[[上杉氏]]の抗争地となる。結局は上杉氏の傘下となるが、[[関ヶ原の戦い]]後は最上氏がこの地を接収した。
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