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==伝記==
孫武に関する資料としては正史『[[史記]]』の他、呉越の興亡について記した野史([[載記]])の『[[{{仮リンク|呉越春秋]]|zh|吴越春秋|wuu|吴越春秋}} 』、孫子の先祖や子孫について述べた唐の正史『[[新唐書]]』が主要な資料となる。これらの古文献の記述する孫武の伝記は以下のようなものであるが、史実性に関しては後述のとおり論争の対象である。
 
孫武の出自は斉国の王族・田氏である<ref>『呉越春秋』では呉の人だとする。天野鎮雄は孫武は呉の人だと考えており、孫武の友人であった伍子胥が子供を斉に預けた(『[[春秋左氏伝]]』哀公十一年条)ことから、孫武の子供も伍子胥の子供と一緒に斉に預けられたのではないかと考えている。</ref>。孫武は若年から兵書に親しみ、[[黄帝]]と四帝の戦いや古代の伊尹、姜尚、[[管仲]]らの用兵策略を研究したという。紀元前517年頃、一族内で内紛があり、孫武は一家を連れ、[[江南]]の[[呉 (春秋)|呉]]国へと逃れ、呉の宰相・[[伍子胥]]の知遇を得る。孫武はその後、呉の王都・姑蘇郊外の山間に蟄居して『孫子』十三篇を著作した。