「ヤッシャ・ハイフェッツ」の版間の差分

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[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|J.S.バッハ]]や、いわゆる[[世界三大一覧#文化・芸術|三大協奏曲]]のほか、[[ヘンリク・ヴィエニャフスキ|ヴィエニャフスキ]]や[[アンリ・ヴュータン|ヴュータン]]、世界初演した[[エーリヒ・ウォルフガング・コルンゴルト|コルンゴルト]]まで、数多くの[[ヴァイオリン協奏曲]]を録音している。
 
特に、ステレオ時代に入ってからは下記のような録音を行い、それらはいずれも世界中で大ヒットとなった。
珍しい録音として、J.S.バッハの「[[2つのヴァイオリンのための協奏曲 (バッハ)|2つのヴァイオリンのための協奏曲]]」があり、これは[[多重録音]]を利用して2つのパートのいずれもハイフェッツが演奏したものである。アメリカ時代には、近所に住んでいた[[アルノルト・シェーンベルク]]から[[ヴァイオリン協奏曲 (シェーンベルク)|ヴァイオリン協奏曲]]の初演の依頼を受けているが、「6本の指が必要」と技術的な困難を理由にこれを断った。しかし、後の回顧録では断ったことを後悔している。
*フリッツ・ライナー指揮[[シカゴ交響楽団]]との共演:チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(1957年)やブラームスのヴァイオリン協奏曲(1955年)。
*[[シャルル・ミュンシュ]]指揮[[ボストン交響楽団]]との共演:ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(1955年)、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(1959年)、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番(1959年)。
*[[ワルター・ヘンドル]]指揮シカゴ交響楽団・[[覆面オーケストラ|RCAビクター交響楽団]]との共演:シベリウスのヴァイオリン協奏曲(シカゴ交響楽団、1959年)、グラズノフのヴァイオリン協奏曲(RCAビクター交響楽団、1963年)
*[[アルフレッド・ウォーレンシュタイン]]指揮RCAビクター交響楽団との共演:ブラームスのヴァイオリンとチェロのための協奏曲(グレゴール・ピアティゴルスキー〈Vc〉、1960年)
*[[マルコム・サージェント]]指揮ロンドン新交響楽団との共演:バッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲(エリック・フリードマン〈Vn〉、1961年) 、ヴュータンのヴァイオリン協奏曲第5番(1961年)、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番(1961年)、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第4番(1961年)、ブルッフのスコットランド幻想曲(1961年)
*ハイフェッツ自ら指揮を兼ねた「室内管弦楽団」との共演:モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」(1963年)
 
珍しい録音として、1946年にハリウッドで録音されたJ.S.バッハの「[[2つのヴァイオリンのための協奏曲 (バッハ)|2つのヴァイオリンのための協奏曲]]」があり、これは[[多重録音]]を利用して2つのパートのいずれもハイフェッツが演奏したものである(伴奏はフランツ・ワックスマン指揮RCAビクター室内管弦楽団)。アメリカ時代には、近所に住んでいた[[アルノルト・シェーンベルク]]から[[ヴァイオリン協奏曲 (シェーンベルク)|ヴァイオリン協奏曲]]の初演の依頼を受けているが、「6本の指が必要」と技術的な困難を理由にこれを断った。しかし、後の回顧録では断ったことを後悔している。
 
ハイフェッツが愛奏した[[マックス・ブルッフ]]の『[[スコットランド幻想曲]]』は、彼により世界的に知られる曲になった。[[エーリヒ・ウォルフガング・コルンゴルト|コルンゴルト]]の協奏曲と同じく、現在でも彼の演奏は名盤と称えられている。