「ベニン王国」の版間の差分

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オリガ (会話 | 投稿記録)
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|先代1 =
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|次代1 = :en:Colonial Nigeria南部ナイジェリア保護領
|次旗1 = Flag of British Colonial Nigeria.svg
|国旗画像 = Benin Kingdom flag.png
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[[15世紀]]、エウアレ王の統治下で、ベニンは[[黄金時代]]を迎えた。[[1481年]]には、空位時代を迎えていたベニン王に、民会がオゾルア王を選出した。オゾルア王統治期の[[1485年]]に[[ポルトガル人]]の探検家がベニンに到達し、西欧との交易が始まった。海岸線に近く、西欧との交易に有利だったことで、ベニンは貿易の中心地として発展していく。ヨーロッパには[[胡椒]]や[[奴隷]]、[[象牙]]を売り、代わりに[[火器]]を輸入して奴隷狩りを行い、ベニンはさらに勢力を拡大していった。当時のヨーロッパ人によって、[[ギニア湾]]岸一の大都市として紹介されたのもこの頃のことである。[[16世紀]]には王が[[リスボン]]に遣欧使節を送り、ポルトガル王は返礼として宣教師をベニンに送った。
 
その後、[[18世紀]]に入ると、西のヨルバ人の[[オヨ王国]]が力を伸ばし、また[[奴隷貿易]]の中心も西の[[ダホメ王国]]や[[アシャンティ王国]]方面に移り、ベニンは衰退したが、[[19世紀]]には[[パームオイル]]の輸出により、往時には及ばないものの少し勢力を回復した。

[[1897年]]、[[イギリス]]との間に紛争が起こり、イギリスはベニンを占領({{仮リンク|南部ナイジェリア保護領|en|Southern Nigeria Protectorate}})。街を焼き払い、王国の文化財を破壊し略奪した。ベニンのブロンズ像はこのときに略奪され、世界各国へと流れていった。
 
[[1914年]]、イギリスはベニン王室の復活を許可。実権はないものの、現在もベニン王家は住人の尊敬を受けている。