「式守伊之助 (29代)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
4行目:
[[和歌山県]][[和歌山市]]出身。本名:池田貢(いけだ みつぐ)。
 
[[春日野部屋]]に入門し、[[1946年]]11月場所[[初土俵]]。初土俵時の[[行司]]名は木村貢。[[1961年]]1月場所[[十両]]格に昇格。[[1963年]]3月場所に3代[[木村善之輔]]を襲名。以後三役格まで善之輔で通す。[[1977年]]1月場所[[幕内]]格に昇格。[[1991年]]1月 場所に[[三役]]格に昇格。木村善之輔の名跡で三役格まで昇したのは[[1941年]]1月場所に昇した初代善之輔(のち[[木村庄太郎 (13代)|13代木村庄太郎]])以来50年ぶりだった。 
 
[[1993年]]([[平成]]5年)11月場所限りで[[木村庄之助_(28代)|28代木村庄之助]]が停年。翌[[1994年]]1月場所は[[立行司]]が不在となり、[[木村庄之助_(29代)|9代式守錦太夫]]、[[式守伊之助_(30代)|8代式守勘太夫]]とともに同年3月場所までの2場所の間で立行司昇格を争った。このときは序列下位の錦太夫が28代伊之助を襲名したが、[[1995年]]1月場所、[[大関]][[貴乃花光司|貴乃花]]の[[横綱]]昇進とともに立行司に昇格、29代伊之助を襲名。[[2000年]]7月場所後[[定年|停年]]。伊之助在位34場所は停年制実施後伊之助在位数第4位である。最後の一番は2000年7月場所[[千秋楽]]の大関[[千代大海龍二|千代大海]](現[[佐ノ山]])-同[[雅山哲士|雅山]](現[[二子山 (相撲)|二子山]])。
 
不屈の闘志を持つ行司で、[[1998年]]11月場所6日目では控えに入っていた際に、土俵上の[[前頭]]筆頭[[魁皇博之|魁皇]](現[[浅香山 (相撲)|浅香山]])ー[[大関]][[武蔵丸光洋|武蔵丸]](現[[武蔵川]])の[[取組]]で土俵から落ちた魁皇の下敷きとなり左手首を[[骨折]]。この取組を裁いていた8代式守勘太夫が気付いて交代を申し出たにも関わらず立行司としての責任感から自らが受け持つ2番を裁き、勝ち名乗りを上げる際には折れた左手で[[呼出]]から[[懸賞 (相撲)|懸賞]]を受け取り渡した。だがこの負傷のため翌日から長期休場せざるを得なくなった。