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'''ビールマンスピン'''(Biellmann spin)は[[スピン (フィギュアスケート)#アップライトスピン|アップライトスピン]]のうちのひとつで、[[デニス・ビールマン]]が広く普及させたスピン。
 
==概要==
スケート選手が片足で回転し、フリーレッグを背後から伸ばして頭上に高く持ち上げ、そのブレードをキャッチする。体全体で涙のしずくのような形滴型をつくるスピン。胴体と足で形作るラインは、しばしば[[チューリップ]]のつぼみに喩えられる。このポジションを取るには高度の柔軟性と高い回転能力が必要とされる。ほとんどは女性が行なうがまれに男性も行う。
 
ビールマンポジションは[[スパイラル (フィギュアスケート)|スパイラル]]ポジションの中でも使用される。
 
==歴史==
ビールマンスピンはその名誉を称えて[[デニス・ビールマン]]から名前が取られているが、競技会で最初に披露したのはデニス・ビールマンではない。
 
1937年[[世界フィギュアスケート選手権|世界選手権]]で[[セシリア・カレッジ]]がレイバックスピンからフリーレッグを片手で持ち上げてビールマンのポジションを取ったとわれているが現存する動画は無い。カレッジが残した動画で確認できるのはドーナツスピンである。残されている動画で確認できる最初のビールマンスピンの原型は1960年[[ヨーロッパフィギュアスケート選手権|ヨーロッパ選手権]]で[[タマラ・ブラトゥス]](モスクビナ)が行ったものである。ブラトゥスは[[体操競技]]を見た後でヒントを得てこのスピンを考案した。彼女は1965年のヨーロッパ選手権でもこのスピンを行っている。しかし、ブラトゥスが行ったスピンはフリーレッグを頭の上に持ち上げているものの、高々と足を伸ばしておらず、体と足で作るラインも楕円形、たまご型に近いものであった。その後他の選手もこのスピン(または原型)を競技会で披露しはじめた。その中にはジャネット・チャンピオン、スラヴァ・コホート、[[カリン・アイテン]]がいる。カリン・アイテンのスピンの動画は残されていて、現在のビールマンスピンにかなり近いがブレードを掴む両腕の肘は90度に曲がっていて、持ち上げた足の膝も90度曲がっているので完全なビールマンポジションではい。1970年代後半にデニス・ビールマンが競技会で行い、このスピンを普及させた。デニス・ビールマンはこのスピンを披露した中で初めて世界選手権で優勝した選手である。
 
1990年代にはペア競技で[[ナタリヤ・ミシュクテノク]]が[[アルトゥール・ドミトリエフ]]とのデススパイラルこのポジションで行なった。
 
[[イリーナ・スルツカヤ]]はビールマンスピンでチェンジフットを行った最初のスケーターである。スルツカヤは片足でビールマンスピンを行った後、直ちにチェンジフットで足を変えてビールマンスピンをした。
 
==バリエーション==