「二重らせん」の版間の差分

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==二重らせんモデルの歴史的背景==
[[ジェームズ・ワトソン|ワトソン]][[フランシス・クリック|クリック]]がDNAの二重らせん構造にたどりつく背景には、2つの重要な研究があった。
 
第一は、'''[[エルヴィン・シャルガフ]]'''([[w:Erwin Chargaff|Erwin Chargaff]])による『DNAの塩基存在比の法則』である。彼が明らかにしたのは、DNA中に含まれる[[アデニン]]と[[チミン]]、[[グアニン]]と[[シトシン]]の量比がそれぞれ等しいという至極シンプルな法則である。しかし、ワトソンとクリックの仕事以前にはこの法則をうまく説明できるようなDNAのモアイは存在しなかった。
 
第二は、'''[[モーリス・ウィルキンス]]'''(Maurice([[w:Maurice Wilkins)Wilkins|Maurice Wilkins]])と'''[[ロザリンド・フランクリン]]'''([[w:Rosalind Franklin|Rosalind Franklin]])による『[[X線結晶構造解析]]』である。X線結晶構造解析は、1912年の[[マックス・フォン・ラウエ]](Max([[w:Max von Laue)Laue|Max von Laue]])による[[X線回折]]現象の発見以降主として低分子の物質の構造解析に使用されてきたが、やがて高分子の結晶化が可能となり生体分子の解析にも応用されるようになった。例えば、[[αヘリックス]]のような[[タンパク質]]の[[二次構造]]については早くに立体構造が判明していたが、[[三次構造]]の決定は1958年の[[ジョン・ケンドリュー]]([[w:John Kendrew|John Kendrew]])らによる[[マッコウクジラ]]の[[ミオグロビン]]を待たなければならなかっった。二重らせんモデル構築の参考となった写真は[[ロザリンド・フランクリン|フランクリン]]が撮影したものである。彼女自身は、その写真もとにして『DNAは2、3あるいは4本の鎖からなるらせん構造をとっているだろう』というレポートを残している。
 
当時の[[ロザリンド・フランクリン|フランクリン]][[ジェームズ・ワトソン|ワトソン]][[フランシス・クリック|クリック]]の研究環境と人間模様については数多くの出版物に描かれている。このうち、『'''二重らせん'''』(ジム・ワトソン著)は[[ジェームズ・ワトソン|ワトソン]]の視点から、『'''ロザリンド・フランクリンとDNA―ぬすまれた栄光'''』(アン・セイヤー著)は[[ロザリンド・フランクリン|フランクリン]]側の視点から描かれている。[[ロザリンド・フランクリン|フランクリン]]の研究の公表が遅れた理由のひとつとして、B型以外にも取りうる構造(A型)があることを発見したため、その両方を比較解析したうえで公表することを意図していたとされている。[[ジェームズ・ワトソン|ワトソン]][[フランシス・クリック|クリック]]が提案した二重らせん構造は、B型のモデルのみであった。
 
なお、[[ジェームズ・ワトソン|ワトソン]][[フランシス・クリック|クリック]]がX線結晶構造解析を行ったと誤解されることも多いが、彼ら自身は構造解析を行っていない。彼らは、当時入手可能であった多くのデータをすべて満足させるモデルを構築することによって歴史に名を刻むこととなったのである。
 
==関連項目==