「横浜市立大学木原生物学研究所」の版間の差分

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==歴史==
===世界大戦中の設立===
1942年(昭和17年)、財団法人木原生物学研究所として設立した当時は[[第二次世界大戦]]中という社会背景であり、幾多の困難が伴ったものの、日本を代表する[[遺伝学者]]であった[[木原均]]博士及び関係者一同の努力によって開設することができた。研究所は圃場、実験室、休養室等が完備され、当時の研究施設としては充実した内容を誇り、研究科は細胞遺伝学科、生理学科、応用遺伝学科で構成された。この施設は[[京都大学]]に譲渡され、現在は京都大学農学部付属植物生殖研究施設として利用されている。<ref name="kihara">[http://www.yokohama-cu.ac.jp/kihara/outline/kiharaenkaku.html 木原生物学研究所の沿革]</ref>
 
===横浜への移転===
1957年(昭和32年)、木原研は[[横浜市南区]]へ移転し、敷地規模1万坪(約33,000m2)で本館は鉄筋コンクリート3階建(延べ 110坪)というより充実した研究施設に生まれ変わった。1969年(昭和44年)、[[国立遺伝学研究所]]の丘の上の飛び地を借用して三島分室を建築し、同年10月に開室した。三島分室での研究は1978年(昭和53年)まで続いたが、1979年(昭和54年)に分室の建物を解体して本館の敷地内に移築することになった。19421982年(昭和57年)、木原研は設立40周年を迎えて創設の目的の一端は果たしたものとし、研究所の事業内容の継続を前提として公的機関へ寄付されることになった。<ref name="kihara"/>
 
===横浜市立大学の附置研究所===
1984年(昭和59年)、木原研は[[横浜市立大学]]へ移管され、横浜市立大学木原生物学研究所と改称された。横浜市立大学の附置研究所となった当初は、[[横浜市南区]]にあった旧医学部の施設跡を利用して分所とし、研究部門も動物系、植物系に分け遺伝進化学、細胞遺伝学、細胞生物学、生物工学の4研究部門の体制であった。施設の老巧化のため、1994年(平成6年)に[[横浜市]][[戸塚区]]へ移転し、分所も本所に統合して、新たに植物工学、生物化学の2研究部門を加えた6基幹研究部門となった。<ref name="kihara"/>
 
===現在===
現在では、植物系の部門を中心として組織され、植物[[ゲノム科学]]研究施設へと変革を進めている。