「パルジファル」の版間の差分

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== 作曲の経緯 ==
*1845年、13世紀の[[ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ]]の[[叙事詩]]『{{仮リンク|パルツィヴァ|de|Parzival|en|Parzival|label=パルツィヴァル}}({{lang-de|Parzival}})や『{{仮リンク|ティトゥレル|de|Titurel|en|Titurel}}({{lang-de|Titurel}})を読む。『[[ローエングリン]]』、『[[ニュルンベルクのマイスタージンガー]]』の着想を得る。
*1857年4月、ワーグナーの自伝『わが生涯』によれば、[[チューリヒ]]の「隠れ家」において『パルツィヴァル』を読み、[[聖金曜日]]([[復活祭]]に先立つ金曜日で、十字架に架けられた[[イエス・キリスト|イエス]]を記念する日)の音楽の霊感に満たされ、『パルジファル』全3幕の構想を得たとされている。しかし、これはワーグナーの詩的創作だったと後に自身が認めている。実際には、『ローエングリン』が作曲された1846年から1848年ごろには構想が芽生えていたと考えられる。しかし、実際の着手までには時間がかかり、この後も長い空白が置かれた。
*1865年8月27日-30日、[[ルートヴィヒ2世 (バイエルン王)|ルートヴィヒ2世]]に求められて第1草稿を書く。草稿は国王に贈呈された。しかし、この後、ワーグナーはバイロイト祝祭歌劇場の建設や『[[ニーベルングの指環]]』の上演などに忙殺される。
 
== 原作及び「パルジファル」の表記について ==
『パルジファル』の台本は、[[ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ]]の叙事詩『[[パルツィファル|パルツィヴァル]]』及び『ティトゥレル』に基づいている。『パルツィヴァル』は、歌劇『ローエングリン』でも原作として採られており、『ローエングリン』第3幕で、ローエングリンは、モンサルヴァート城の王パルツィヴァル(Parzival)の息子であると名乗る。パルジファルが白鳥を射落として引き立てられてくることと、ローエングリンが「白鳥の騎士」であることの関連は明らかであろう。ほかにも、各幕の構成や、『パルジファル』のクンドリが『ローエングリン』のエルザとオルトルートを合わせたような存在であることなど、二つの作品は関連が深い。
 
パルツィヴァルの名前の語源として、[[アラビア語]]のパルジ(清らか)+ファル(愚か)であるとするヨーゼフ・ゲレスの説を取り入れて、ワーグナーはParsifalに綴りを直したとされる。晩年、ワーグナーが親密に交際したジュディット・ゴーティエは、この説を誤りだと指摘したが、ワーグナーは「そうであっても構わない。」として訂正しなかったという。現在では、パルツィヴァルの語源としてperce(貫く)+val(谷)、すなわち「谷を駆け抜ける者」が有力である。
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