「松山ホステス殺害事件」の版間の差分

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3代続く老舗和菓子屋を切り盛りし、店の売り上げも相当に伸びたという、また親戚と偽り実子を呼び寄せ店で働かせている。
 
3年後、[[指名手配]]書が全国に貼られ、和菓子屋の家族も和子の素性を疑い始め通報、店の知人の通夜の手伝い中に[[金沢中警察署]]員が斎場に急行したが、それを察知した和子は[[自転車]]で逃走し、[[名古屋市]]に向かう。市内の[[ラブホテル]]で住み込みの客室係として採用される。しかし、たまたま名古屋の[[緑警察署 (愛知県)|緑警察署]]に運転免許の更新に行った同僚が指名手配写真を見て、和子に[[自首]]を勧めたため逃亡、市内の別のラブホテルの面接を受けたが、その際、顔写真と、雇用契約の拇印をとられたため1988年5月13日名古屋市から離れ[[福井市]]に現れ、求職し住み込みでホステスをする。
1992年大阪市内の売春宿に移るが、すぐに辞める。
松山東警察署は、公訴時効が迫ってきていることに焦り始め、手配写真入りの[[テレフォンカード]]の配布、肉声の公開、懸賞金100万円という近代警察史上前例のない捜査手法を採用した。