「デイトン合意」の版間の差分

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協議の会合は1995年11月1日から同月21日まで行われた。交渉の場所は、参加国がメディアを通じて駆け引きすることができない場所(ライト・パターソン空軍基地)が選ばれた。戦闘地域からの主な出席者は、[[セルビア]]大統領[[スロボダン・ミロシェヴィッチ]](ボスニア・セルビア人代表として、[[ラドヴァン・カラジッチ]]は欠席)、[[クロアチア]]大統領[[フラニョ・トゥジマン]]、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ大統領[[アリヤ・イゼトベゴヴィッチ]]と同国外相{{仮リンク|ムハメド・サツィルベイ|en|Muhamed Sacirbey}}であった。
 
和平協議は[[アメリカ合衆国国務長官|アメリカ国務長官]][[ウォーレン・クリストファー]]が進め、また交渉には国務次官補([[ヨーロッパ]]・[[カナダ]]担当)[[リチャード・ホルブルック]]があたり、共同議長は[[欧州連合]] (EU) [[ボスニア・ヘルツェゴビナ上級代表]][[カール・ビルト]]とロシア外務第一次官[[イーゴリ・イワノフ]]が務めた。このほか重要な出席者としてアメリカ代表団には、のちの1997年にNATO欧州連合軍最高司令官となる[[{{仮リンク|ウェズリー・クラーク]]|en|Wesley Clark}}や、イギリス軍からは2005年に[[欧州連合部隊]](EUFOR)司令官となる[[デイヴィッド・リーキー]]がいた。またNPOである国際公法・政策グループ(Public International Law & Policy Group, PILPG)が協議期間中、ボスニア政府代表団の法律顧問を務めた。
 
1995年11月21日にデイトンでの協議が終了し、その後同年12月14日に[[フランス]]の[[パリ]]で正式な合意文書が署名された。この署名の場には当事3か国の首脳のほかに、[[共和国大統領 (フランス)|フランス大統領]][[ジャック・シラク]]、[[アメリカ合衆国大統領]][[ビル・クリントン]]、[[イギリスの首相|イギリス首相]][[ジョン・メージャー]]、[[連邦首相 (ドイツ)|ドイツ連邦首相]][[ヘルムート・コール]]、[[ロシアの首相|ロシア首相]][[ヴィクトル・チェルノムイルジン]]が同席した。