「ムドロス休戦協定」の版間の差分

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'''ムドロス休戦協定'''(ムドロスきゅうせんきょうてい、{{lang-en|Armistice of Moudros}}、{{lang-tr|Mondros Ateşkes Anlaşması}})は、[[1918年]][[10月30日]]、[[連合国 (第一次世界大戦)|連合国]]と[[オスマン帝国]]との間で締結された[[休戦協定]]。
 
[[ダーダネルス海峡]]の入口に浮かぶ[[ギリシア]]領[[リムノス島]]の、ムドロス港(マウドロス港)に停泊中の[[イギリス海軍]]戦艦[[アガメムノン (戦艦)|アガメムノン]]の艦上において、オスマン帝国の海軍大臣[[ラウフ・オルバイ]]とイギリス海軍[[地中海艦隊 (イギリス)|地中海艦隊]]の提督[[{{仮リンク|サマーセット・アーサー・ゴフ=カルソープ]]([[:|en:Somerset Gough-Calthorpe|Somerset Arthur Gough-Calthorpe]])}}らが署名した<ref>Karsh, Efraim, ''Empires of the Sand: The Struggle for Mastery in the Middle East'', (Harvard University Press, 2001), 327.</ref> 。この休戦協定で、[[第一次世界大戦]]の[[中東戦線 (第一次世界大戦)|中東戦線]]での戦闘に終止符が打たれ、連合国諸国とオスマン帝国との戦争はオスマン帝国の敗戦に終わった。
 
== 休戦協定の開始 ==
オスマン帝国と連合国との停戦に向けた協議は、まずオスマン帝国が、捕虜としていたイギリス陸軍少将[[{{仮リンク|チャールズ・タウンゼンド (1861-1924)|en|Charles Vere Ferrers Townshend|label=チャールズ・タウンゼント]]ド}}([[クートの戦い]]で[[1916年]]に降伏して以来オスマン軍の捕虜となっていた)をイギリス軍の拠点であったムドロス港へ派遣したことによって開始された。連合国軍のイギリスとフランスとの間には[[エーゲ海]]での連合国艦隊の指揮をめぐって1918年には反目が生じており<ref name="helmreich3f">Paul C. Helmreich, S. 3f.</ref>、フランスが[[ブルガリア王国_(近代)|ブルガリア王国]]との休戦協定で単独行動を取っていたこともあり<ref>Paul C. Helmreich, S. 31, Fußnote 2</ref>、イギリス海軍ゴフ=カルソープ提督はフランス抜きで中東での戦後の覇権を確固たるものとすべく<ref name="helmreich3f" />停戦交渉を始めた。
 
== 休戦協定の内容 ==
29,631

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