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Benzoyl (会話 | 投稿記録)
大相撲ビデオ判定導入のきっかけ
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=== 高次の審判員の設置 ===
大相撲では、あくまで[[行司]]一人が審判を行うが、元[[幕内]][[力士]]からなる[[勝負審判]](審判部長はほとんどが元[[大関]]以上で他の審判も多くは幕内上位経験者)が置かれ[[行司]]の判定を審査するシステムになっている。なお、実例はめったに無いが控え力士も[[物言い]]をつけることができる。
 
かつては物言いがついた際の判定の是非を巡る協議は中改(現在の勝負審判に対する江戸時代の呼称)、勝負検査役(同じく勝負審判に対する明治の高砂改正組から昭和中期までの呼称)による肉眼判定のみであったが、[[1969年]]3月場所2日目に[[羽黒岩智一|戸田]]と[[大鵬幸喜|大鵬]]の対戦で軍配が大鵬に上がりながらも物言いがつき、協議の結果は行司差し違えで戸田の勝ちと判定されたが、戸田の右足の趾が俵を割っている時点で大鵬はまだ両足がギリギリ俵の内側に残っている写真や映像の存在により世紀の大誤審として問題になり、翌5月場所より予定を前倒ししてビデオ判定が導入された。
 
=== 審判員の匿名化 ===