「ウェセックス王国」の版間の差分

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|位置画像説明 =茶色が879年頃のウェセックスの版図
|公用語 =[[古英語]]
|首都 =[[ウィンチェスター (イングランド)|ウィンチェスター]]、[[{{仮リンク|シャーボーン|en|Sherborne|label=シェボーン]]}}
|元首等肩書 =[[国王]]
|元首等年代始1 =
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===イネによる長期統治===
キャドワラの後は[[イネ (ウェセックス王)]]([[:en:Ine of Wessex]])が継いだ。イネもチェウリンを通じてチェルディッチの子孫と自称していたが、また遠縁の血統ではあった。イネの統治は長く38年に及んだ。現存している[[古英語]]の法典は、[[ケント王国]]のものを除けば、イネの治世のものが最古である。また彼は[[{{仮リンク|シャーボーン]](|en|Sherborne|label=シェボーン}}([[:en:Sherborne|Sherborne]])に司教区を築き、[[セルウッド]]([[:en:Selwood Forest]])以西の領土を支配下に置いた。晩年、先王キャドワラに習い、ローマへ巡礼。チェルディッチの末裔を名乗る王位は幾人かの王たちに移譲されたが、系譜学として関連は定かでないものとなっている。
 
[[8世紀]]にウェセックスの勢いは北方のマーシア王国に劣後する事となり、幾度か西サクソン王国の王はマーシア王の支配下に入る事となった。とは言うもののウェセックスは、マーシア王国が小国に対して振舞うような高圧的な支配統治は免れてはいた。この時期にウェセックスは西方[[ドゥムノニア]]を吸収し[[デヴォン]]を支配下に押さえる事に成功する。マーシア王国が現在の[[グロスターシャー]]、[[オックスフォードシャー]]に相当するウェセックスの北部旧領へ進攻した結果、テムズ川とエイヴォン川が境界となり、中心地が[[ハンプシャー]]、[[ウィルトシャー]]、[[バークシャー]]、[[ドーセット]]、そして[[サマーセット]]の各州へと区分けされた。このようなウェセックスに見られた州制度は後の[[イングランド王国]]の地方行政単位となり、[[イギリス]]の行政制度の礎となるが、[[8世紀]]中ごろには成立していた。