「阿Q正伝」の版間の差分

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== あらすじ ==
時代が清から中華民国へ変わろうとする[[辛亥革命]]の時期、中国のある小さな村に、本名すらはっきりしない、村の半端仕事をしてはその日暮らしをする日雇いの阿Qという男がいた。彼は金も家もなく、女性にも縁がなく、字も読めず容姿も不細工という村では最下層の存在で、村の閑人たちに遇うたび馬鹿にされている立場であった。だが阿Qは非常にプライドが高く、「精神勝利法」と呼ばれる独自の思考法を持っており、閑人たちに罵られたり、日雇い仲間との喧嘩に負けても、結果を心の中で都合よく取り替えて自分の勝利としていた。ある日、阿Qは村の金持ちである趙家の女中に劣情を催し、言い寄ろうとして逃げられた上に趙の旦那の怒りを買い、村民からまったく相手にされなくなる。彼は食うに困り、盗みを働き、村から逃亡同然の生活を続ける中で、革命党が近くの町にやってきた事を耳にし「革命」に便乗して意味もわからぬまま騒ぐが、逆に革命派の趙家略奪に加担したと無実の疑いをかけられて逮捕され、無知ゆえに筋道たてた弁明すらできず、哀れ銃殺されてしまう。
 
== 評価 ==
無知蒙昧な愚民の典型である架空の中国国民を主人公とし、権威にはへつらい、弱者はいじめ、現実の惨めさを口先で糊塗し思考で逆転させる彼の滑稽さを描き出して、当時の中国社会の病理を痛烈に告発した作品として評価された。特にこの作品を気に入った[[毛沢東]]が談話でしばしば「阿Q精神」を引き合いに出したため、魯迅の名声が高まった。後に中国の高校教科書に採用され、中国国民の多くが知っている小説である。また外国向けにも翻訳されている。
 
== 背景 ==
作者の魯迅は学生として日本に留学し、仙台医学専門学校(現[[東北大学]]医学部)で解剖学を学んだ。ある日教室で、[[日露戦争]]における中国人露探([[ロシア]]側のスパイ)処刑の記録映画を見、同胞の銃殺に喝采する中国国民の無自覚な姿に強い衝撃を受けた。これを契機に魯迅は中国の社会改革と革命に関心を深め、医学から文筆を通じて中国人の精神を啓発する道に転じた。この体験や心境の変化は小説『藤野先生』にも書かれている。物語の最後で、まったくの無実の罪で処刑される阿Q、その死にざまの見栄えのなさに不平を述べる観衆たちの記述は、中国人露探同胞とそれを見物に喝采する中国人観衆様子姿に衝撃を受けた作者の体験を反映している。
 
== 阿Qの意味 ==