「光市」の版間の差分

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江戸時代、[[毛利藩]]は領内に[[支藩]]と[[宰判]]を配置したが、室積には熊毛宰判が置かれた。この地は[[北前船]]の西回り航路の寄港地となっていたこともあって商港として大いに栄えた。このため、後に[[山陽本線]]の前身である[[山陽鉄道]]の鉄道敷設計画では、当初室積村を経由して、現在の[[国道188号]]線に沿ったルートとなる予定であった。しかし、室積村の住民が「汽笛で魚が逃げる」「宿場が寂れる」などとして強硬に反対したため、難工事の続く[[島田駅 (山口県)|島田駅]]、[[岩田駅]]、[[田布施駅]]を経由するルートに変更を余儀なくされた([[鉄道忌避伝説]])。
 
また、幕末には室積村の普賢寺に[[第二奇兵隊]]屯所が置かれ、後に[[石城山]]山頂に移った。
 
==== 戦前期 ====