「足利義量」の版間の差分

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=== 将軍職就任 ===
応永30年(1423年)1月1日、義持・義量父子は朝廷に参内し、それから[[畠山満家]]、[[斯波義淳]]、[[細川満元]]らの屋敷にそれぞれ渡御している事から、この年初から義量への将軍職譲渡への根回しが行なわれていたと推測されている。3月9日には9日後に義量の将軍宣下を行なうように申し入れており<ref group="註">『[[満済准后日記]]』</ref>、3月18日、17歳で父から将軍職を譲られて第5代将軍に就任した。譲渡の日には諸大名が、3月20日には僧俗が群参して馬や太刀を献上して祝ったという<ref name="足利義持p154"> 伊藤喜良 著『人物叢書‐足利義持』吉川弘文館、2008年、p.154</ref>。応永31年(1424年)10月13日には参議に任命されて廟堂に列した<ref name="足利義持p155"/>。[[大御所]]となった義持はまだ38歳であり、これは自らが父の[[足利義満|義満]]に早くに将軍職を譲られた例を踏襲したとされている<ref name="足利義持p155"/>。
 
=== 早世 ===