削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Tribot (会話 | 投稿記録)
m bot: WP:BOTREQ#PRIDEのリンク修正 oldid=50729218
129行目:
 
===== 『紙のプロレスRADICAL』 =====
ダブルクロスに残ったのは山口昇と新人の女子2名の3人だった。残された山口は、プロレスバラエティー番組『[[リングの魂]]』の雑誌版『Rintama』の編集を経て<ref name="toso">吉田豪「『紙のプロレス』の我が闘争!!」『取材拒否!―リングの外にも、これだけの修羅場があった! 』桃園書房、2005年</ref>、1996年に『紙のプロレスインターナショナル』をリニューアルし、『'''紙のプロレスRADICAL'''』を創刊する。誌面を大判化しカラーページを増やし、プロレスに加えて、新たに格闘技の[[PRIDE (格闘技イベント)|PRIDE]]や[[リングス]]を誌面の中心にした<ref>amazon.co.jp [http://www.amazon.co.jp/紙でプロレスソリチュード-柳沢-忠之/dp/4835600789 紙でプロレスソリチュード・著者略歴]</ref><ref>All About「[http://allabout.co.jp/sports/prowrestling/closeup/CU20070621A/index3.htm ハッスル山口日昇新社長に聞く(上)]」2007年6月21日</ref>。
 
判が小さかった頃の旧『紙のプロレス』は後に「ちっちゃい紙プロ」と言われて<ref>大谷泰顕『プロレスvsK-1読本 元気があれば猪木軍』[[エンターブレイン]]、2001年、p.201</ref>、[[UWFインターナショナル]]と[[高田延彦]]をからかうスタンスだった。
137行目:
[[1998年]]に新日本プロレスから取材拒否を受け、[[ミスター高橋]]に取材をしたことで[[NOAH]]からも取材拒否をされて<ref>井上譲二『プロレス「暗黒」の10年 検証・「歴史的失速」はなぜ起きたのか』[[宝島社]]、2008年、p25</ref>プロレスのメジャー団体に取材をすることが一切できなくなり、雑誌の方向が定まっていく。
 
当時は[[PRIDE (格闘技イベント)|PRIDE]]が大きくなりつつある時期ということもあり、格闘技を積極的に取り上げ、支持者を増やしていく。
 
PRIDE以外にはリングス、[[格闘探偵団バトラーツ]]、[[プロレスリングZERO-ONE|ZERO-ONE]]といった団体が誌面の多くを飾った。リングスと関係が悪化していた[[パンクラス]]については、『パンクラス公式読本』という書籍を編集していたが、『紙のプロレスRADICAL』本誌ではほとんど取り上げなかった<ref name="toso" />。しかし、その3団体がいずれも潰れたことから{{要出典範囲|「紙プロがプッシュする団体は必ず潰れる」というありがたくないジンクスを頂戴することとなる|date=2010年5月}}。
145行目:
2002年頃携帯電話サイトの「紙プロhand」を開設する。(現在のkamipro move) ニュースの速報が速く、特にPRIDE関係のニュースについては後に述べる事情により“事実上の公式発表”と同等視された。
 
かつて本誌を率いた柳沢忠之は、サムライTVでの上司である[[谷川貞治]]とともにサムライTVを退社した後、谷川とともに「ローデス」という編集プロダクションを作り、谷川がコメンテーターとして出演していたテレビ番組『[[SRS (テレビ番組)|SRS]]』の雑誌版『SRSDX』を創刊した。SRSDXの取材対象は当然ながら同番組で取り上げる範囲と大きくダブり、[[K-1]]を中心とした格闘技と、プロレスをメインにしていた。現在のkamiproの原型は実はこの雑誌にあるともいえる。のち、[[ドリームステージエンターテインメント]](DSE)が主催するPRIDEのテレビ中継([[スカイパーフェクTV]])の解説者を谷川貞治が務め始めたのとほぼ同時期に、柳沢は、[[PRIDE (格闘技イベント)|PRIDE]]運営(特に企画・対戦カード決定)に外部スタッフとしてかかわるようになる。ところがそののち柳沢は、当時PRIDEと対立していたK-1の新会社[[FEG]]の設立メンバーとしてDSEを去った。谷川もPRIDEを離れFEGの社長に就任した。それと相前後してDSEの運営に入ったのがかつて柳沢の盟友であった山口日昇であった。
 
山口がDSEの興行の運営者の一人となったことから、同誌は「DSEの機関誌」と読者や関係者から呼ばれることも多く<ref>[[吉田豪]]「新書評の星座」『[[ゴング格闘技]]』2005年10月号、[[日本スポーツ出版社]]</ref><ref>菊地成孔『サイコロジカル・ボディ・ブルース解凍 僕は生まれてから5年間だけ格闘技を見なかった』白夜書房、2005年、p258.</ref>、現実にもまったく悪びれずにDSEのPRIDEや[[ハッスル (プロレス)|ハッスル]]といった関係の記事が目立つようになった。