「ルドヴィーコ・スフォルツァ」の版間の差分

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そのため、[[フォルリ]]の[[リアーリオ家]]に嫁いだ、姪の[[カテリーナ・スフォルツァ|カテリーナ]](ジャン・ガレアッツォの姉)とも距離を置かれた。
 
[[1499年]]にルドヴィーコの後楯である[[神聖ローマ皇帝]]の[[ハプスブルク家]]が[[フランス王国]]と対決した。ルドヴィーコは[[神聖ローマ帝国]]につき、翌[[1500年]]にフランス軍はスフォルツァ城を包囲し、相互にスイス傭兵を率いていた。しかし、[[1500年]]に、配下のスイス傭兵の裏切りのために、ルドヴィーコは窮地に追い込まれてしまい、一部のスイス傭兵の好意で、スイス傭兵に仮装して脱出を試みた。しかし、500クローネンの報酬に釣られた[[ウーリ州]]の傭兵隊長の[[ルドルフ・トゥールマン]]が密かにフランス軍に密告したため、ルドヴィーコはルドルフの手勢に捕らわれてフランス軍に引き渡された。これが名高い『{{仮リンク|ノヴァラの裏切り|de|Verrat von Novara|en|Treason of Novara}}』である。
 
ルドヴィーコは、そのまま[[1508年]]まで投獄され・獄死した。
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