「形式主義 (数学)」の版間の差分

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形式主義は、[[ダフィット・ヒルベルト]]によって主張された。その目的は数学をゲームと考えることによって、数学的実在に直接関わることなく、数学の無矛盾性を証明するためであった。([[ヒルベルト・プログラム]])上記の点から、ヒルベルトの形式主義は、[[ブルバキ]]の[[公理論]]とは異なるものである。
 
形式主義によると、数学的命題は確実な文字列処理ルールを必要とする命題と考えられる。例として、(「公理」と呼ばれる文字列と、与えられた公理から新しい文字列を生成する「[[推論規則]]」からなるものとして見られる)[[ユークリッド幾何学]]の「ゲーム」では、[[ピタゴラスの定理]]が有効であることを証明できる(それは、あなたが、ピタゴラスの定理に対応する文字列を生成できることである)。数学的[[真理]]は、[[数]]や[[集合論|集合]]や三角形やそのようなものについて({{Lang|en|about}})のものではない。実際には、それすべて「ついて「アバウト({{Lang|en|about}})」のものない
 
もうひとつの形式主義は[[演繹主義]]としてよく知られる。演繹主義では、ピタゴラスの定理は絶対的真実ではなく、相対的なものだが、もしあなたがゲームのルールが真実となるといった方法で文字列を考えているならば(いいかえれば、真の命題は公理に割り当てられ、推論と真実の保存のルールに割り当てられる)、そのときあなたは、その理論を受け入れなければならない。いやむしろ、あなたがそれに与えた解釈は真の命題でなければならない。[[同値]]はすべての他の数学的記述に関して真であると見なされる。従って、形式主義は数学が無意味な象徴ゲームでしかないことを意味する必要はない。それは通常、ゲームが適用するルールの様々な解釈が存在することが望まれている。([[構造主義]]をこの立場になぞらえる) しかし、数学者が仕事を継続し[[哲学者]]や[[科学者]]にそのような問題を残すことは、数学者が働くことを可能にする。多くの形式主義者らは、実際に、研究された公理体系は、科学への要求や数学以外の分野によって提案されると言うだろう。