「春吉 (福岡市)」の版間の差分

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春吉の地名の由来は、[[住吉神社 (福岡市)|住吉神社]]の秋季大祭の時の[[市場]]に人が多く集まり、秋に実る[[穀物]]が踏まれてしまうため、春に収穫する[[ムギ|麦]]のみを作るのが良いとされたことにちなむ。ただしこの説を『[[筑前国続風土記]]』にて紹介した[[貝原益軒]]自身は俗説だとしている。
 
かつては[[那珂郡 (筑前国福岡県)|那珂郡]][[住吉町|住吉村]]の一部であった春吉は、[[1602年]]([[慶長]]7年)に那珂郡春吉村となる。当初は民家はなく[[博多]]に住む農民の田畑があった。[[1639年|1639]]-[[1640年|40年]]([[寛永]]16-17年)の頃に[[福岡藩]]主[[黒田忠之]]によって[[足軽]]の宅地とされる。[[1678年]]([[延宝]]6年)には那珂川からの浸水を防ぐための[[堤防|土手]]が築かれる。
 
[[1889年]]([[明治]]22年)に住吉村と合併して住吉村大字春吉となる。[[1922年]]([[大正]]11年)に住吉町が福岡市に編入され、春吉も福岡市の一部となる。[[1945年]]([[昭和]]20年)の[[福岡大空襲]]では罹災せず。戦後の[[1966年]]の(昭和41年)の[[住居表示|町名町界整理]]により一部が「渡辺通り」や「[[西中洲 (福岡市)|西中洲]]」に分割され、残ったエリアは春吉1-3丁目となった。
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