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[[江戸時代]]前期には譜代の[[江戸幕府]][[旗本]]・[[大久保忠教]](彦左衛門)の[[武家|屋敷屋敷]](但し、現在の園全域ではなく一部が彦左衛門の屋敷地)であったが、その後[[薩摩藩]]の[[江戸藩邸#抱屋敷|抱屋敷]]、[[島津氏]](松平薩摩守)の[[下屋敷]]を経て、[[明治]]時代に[[渋沢成一郎|渋沢喜作]]の手に渡る。
 
[[1915年]]([[大正]]4年)、実業家・[[久原房之助]]<ref>「鉱山王」の異名のあった実業家・政治家。</ref>邸宅時に現在の[[建物]]と庭園が整備された。戦後久原(当時[[公職追放]]中)は、[[銀座]]や[[築地]]で料亭などの経営を手がけていた長谷敏司<ref>長谷敏司(はせとしつか、[[1903年|1903]]~[[1991年]])は鳥取県出身の実業家、長谷観光社長。『長谷敏司の歩んだ道』(八芳園刊、非売品、[[1982年]])に詳しい、現在は息子が社長。</ref>に、海外からの旅行者(賓客)向けに、[[日本庭園]]を生かした本格的な料亭の共同経営を持ちかけ、自ら「八芳園」と命名し[[1950年]]([[昭和]]25年)に創業した。数年後全面的に長谷側の所有となり、経営が本格化した。
 
== 料亭 ==