「相田みつを」の版間の差分

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Lamord123 (会話 | 投稿記録)
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1991年、道でころんで足を骨折し、足利市内の整形外科に入院したが、[[脳内出血]]と診断され、それが原因となり急逝。最期まで仕事への意欲は衰えず、「一文字を書いた大作だけを集めた展覧会を開きたい」というのが、長男・一人との最期の会話になった<ref name = Kazuhito>{{cite news |title= 【イブニングマガジン】相田みつを 父を語る 相田みつを美術館長 相田一人さん|newspaper= 産経新聞|date= 2001-09-28}}</ref>。[[享年]]68(数え年)。
 
作品に対して妥協を許さず、「逢」というたった一文字を書くために何百枚何千枚と紙を無駄に使用したり、印刷のわずかなズレや墨の色の微妙な違いから印刷済みの色紙千枚がボツになったこともあったという<ref name=Sugawara>{{cite news |title= 【イブニングマガジン】人間・相田みつを タマ美術代表取締役 菅原澄さん|newspaper= 産経新聞|date= 2001-09-28}}</ref>。挫折を乗り越えてつくりあげられた作品には自らの実生活が重ね合わされているのが特徴である<ref name=Touounippou></ref>。
 
{{Cquote|つまづいたって<br /><br />