「ノーム・チョムスキー」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m →‎メディア論: 誤記修正。
45行目:
 
高校卒業後の1945年ノーム・チョムスキーは[[ペンシルベニア大学]]へ進学し、{{仮リンク|C・W・チャーチマン|en|International C. West Churchman}}や[[ネルソン・グッドマン]]らから[[哲学]]を、[[ゼリグ・ハリス]]らから[[言語学]]を学んだ。ハリスの講義は、ノームに言語構造の[[線型写像]](文章の中の部分的な集まりから他の集まりへの対応付け)といった解析法の発見をもたらした。1951年の修士論文『The Morphophonemics of Modern Hebrew (現代ヘブライ語における形態音素論)』で、彼は形態音素の規則を示した<ref name="Barsky1997">{{cite book|last=Barsky|first=Robert Franklin|title=Noam Chomsky: a life of dissent|url=http://books.google.com/books?id=GhwvCoZBFoYC&pg=PA47|accessdate=August 16, 2011|year=1997|publisher=ECW Press|isbn=978-1-55022-281-4|pages=47}}</ref>。そして1955年、[[ペンシルベニア大学]][[大学院]]博士課程を修了し、[[言語学]]の[[博士号]]を取得した。
 
1951-55年にチョムスキーはハーバード大学のジュニアフェロー<ref>3年間財政支援を受けながら何の義務無し(論文作成も講義への出席も不要)で研究できる制度。多数の天才を輩出している。</ref>に選ばれており、その研究が「生成文法論」に結実した。その後1955年からMITに勤務した。
 
チョムスキーは[[ニューヨーク市]]を訪れては、イディッシュ語の無政府主義系雑誌『{{仮リンク|フライエ・アルバイテル・シュティンメ|en|Freie Arbeiter Stimme}}』の事務所へ頻繁に足を運び、同誌に寄稿していた[[アナルコ・サンディカリスト]]の[[ルドルフ・ロッカー]]に傾倒する。後に記したところによると、ロッカーの仕事から無政府主義と[[古典的自由主義]]の関係に気づき、後に研究の対象にしたという<ref>{{Harvnb|Barsky|1997|p=24}}</ref>。他にも、政治思想家では、アナキストの{{仮リンク|ディエゴ・アバド・サンティラン|en|Diego Abad de Santillán}}や[[社会民主主義]]者の[[ジョージ・オーウェル]]や[[バートランド・ラッセル]]、{{仮リンク|ドワイト・マクドナルド|en|Dwight Macdonald}}、また非ボリシェヴィキマルキシストの[[カール・リープクネヒト]]や[[カール・コルシュ]]、[[ローザ・ルクセンブルク]]らの著作を精読した<ref>{{Harvnb|Barsky|1997|pp=24f}}</ref>。これらに目を通す中で、 チョムスキーはアナルコ・サンディカリスト社会に共感し、オーウェルの著作『[[カタロニア賛歌]]』で知ったスペイン内戦の期間に結成されたアナルコ・サンディカリスト共同体に惹かれるようになった<ref>{{Harvnb|Barsky|1997|p=26}}</ref>。