「ルフトハンザ航空181便ハイジャック事件」の版間の差分

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== 事件後 ==
[[ファイル:Bundesarchiv B 145 Bild-F051866-0010, "Landshut"-Entführung, Rückkehr GSG 9.jpg|thumb|300px|ハイジャックされた[[ルフトハンザドイツ航空|ルフトハンザ航空]][[ボーイング737|ボーイング737-200]]型機「ランツフート号」へ突入し乗客を解放した[[GSG-9]]隊員が、モガディシュからケルン・ボン空港に帰還する]]
モガディシュでの人質解放の直後、シュトゥットガルトの刑務所ではハイジャック失敗の報を受けたRAFメンバーの内3人が、ロープで首を吊ったり拳銃を使うなどして[[自殺]]した(ただし、ドイツで一番厳重な[[刑務所]]にどうやって[[拳銃]]を持ち込めたかについては疑問が残り、[[弁護士]]が面会時に持ち込んだという公式な[[捜査]]結果の他にも、「法的手続きのない処刑だったのではないか」との[[陰謀説]]を唱える者もいる)。さらにこのメンバー自殺の報を受け、[[誘拐]]されていたシュライヤーもRAFメンバーに殺され、[[10月19日]]にフランスで乗り捨てられた車のトランクから[[遺体]]で発見された。
 
このハイジャック事件後、西ドイツ政府は今後テロリストとの取引を行わないことを発表した。シュライヤーを救出することはできず見殺しとなったものの、当時の首相ヘルムート・シュミットはこの突入事件の決断で高く評価された。また[[H&K MP5]]([[短機関銃]])および閃光弾が世界で初めて突入時に使用された事件であり、対テロ部隊GSG-9やこれらの装備の上げた成果は世界の特殊部隊に影響を与えた。[[アメリカ陸軍]]の[[デルタフォース]]、[[日本の警察]]の[[特殊急襲部隊]](SAT)などは、テロ対策・ハイジャック対策を模索中だった各国がモガディシュ事件を教訓として設立したものである。