「ゲイリー・ムーア」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
長期間放置されていた要出典範囲を除去
m編集の要約なし
49行目:
[[1977年]]1月、再び、[[ブライアン・ロバートソン]]の代役として、シン・リジィに参加、[[クイーン (バンド)|クイーン]]とのアメリカ・ツアーに同行する。
 
[[1978年]]8月、シン・リジィに正式加入、コロシアムIIに在籍したまま、ソロ名義で[[MCAレコード|MCA]]と契約し、9月、初のソロ名義作品『バック・オン・ザ・ストリーツ (Back on The Streets)』をリリース、UK・アルバム・チャートで70位を記録する。自作のインストゥルメンタル曲の他、ライノットとの共作曲を収録。なかでもピーター・グリーンから譲り受けたギブソン・レスポール・スタンダード(1959)による演奏が印象的な「[[パリの散歩道』"]] (Parisienne Walkways" )」はUKシングル・チャート8位(最高位)を記録する。12月、シン・リジィ、『ブラック・ローズ (Black Rose)』のレコーディング開始する。
 
[[1979年]]2月、『ブラック・ローズ (Black Rose)』リリース。
89行目:
[[1993年]]6月、ワールドツアーを記録した『Blues Alive』、映像作品の『Live Blues』を発表した。
 
同年ジャック・ブルースとの共演後、11月にはドイツのケルンで行われた[[ジャック・ブルース]]のバースデイ・コンサートに参加。元[[クリーム (バンド)|クリーム]]のメンバーであるブルース、[[ジンジャー・ベイカー]]との共演をきっかけに、[[1994年]]、・ベイカー、ブルース、ムーアの3人でBBMを結成(バンド名はメンバーの頭文字から取られた)。アルバム『アラウンド・ネクスト・ドリーム~白日夢 - ''Around The Next Dream''』をリリース。ライブを数回行った後ベイカーがグループを離れたため、[[ゲイリー・ハズバンド]]がトリオに加わった。同年、そのトリオで録音した新曲ワン・デイ - ''One Day''を含む初のコンピレーション・アルバム『ベスト・オブ・ゲイリー・ムーア~バラッズ・アンド・ブルーズ~ - ''Ballads&Blues 1982-1994''』がリリースされた。
 
[[1995年]]、ピーター・グリーンに捧げた『Blues For Greeny』をリリース。グリーンの活動再開のきっかけともなるアルバムリリース記念ライブをロンドンで行う(この様子は、1996年に"BLUES FOR GREENY LIVE"(VHS)としてリリース)。
105行目:
[[2002年]]9月、突如トリオ編成のロック・バンド '''SCARS''' を編成。メンバーはダーレン・ムーニーに元[[スカンク・アナンシー]]のキャス・ルイス(ベース)。アルバム『SCARS』リリース。10月には[[ZZトップ]]のサポート・アクトとしてEUでのツアーを敢行、翌[[2003年]]5月、[[モンスターズ・オブ・ロック]]UKツアー2003に参加(メインアクトは[[ホワイトスネイク]])、レディングでの公演はレコーディングされて映像作品になったが、ツアー後半怪我を理由にキャンセル。7月頃、SCARSは活動停止する。
 
[[2004年]]6月には再び個人名義によるソロ作品『Power Of Blues』リリース。旧知のボブ・デイズリーを加えたバンドと数回のギグを行ったのみで、予定されていたヨーロッパでのフェスティバル出演はほぼキャンセルされた。[[9月24日]]には[[フェンダー・ストラトキャスター]]の生誕50年を祝う『The Strat Pack: Live in Concert』に客演して[[ピノ・パラディーノ]]とともにジミ・ヘンドリックスのRed Houseを演奏した。
 
[[2005年]]8月20日、フィル・ライノットの故郷ダブリンにライノットの銅像が立てられることを記念して行われたコンサートに元シン・リジィのメンバーと共に'''ゲイリー・ムーア・アンド・フレンズ'''として出演し映像作品としてリリースされた。この年はほぼライヴ活動を行っていない。
229行目:
== 使用機材 ==
*[[フェンダー・ストラトキャスター]]'''(1960 - 1961年製・シリアルNo50,000番台)'''
:We want Moore!の頃にメインで使用されていた、サーモンピンクの[[ストラトキャスター]]。[[グレッグ・レイク]]のバンドにいた時にレイクのために購入したが、傷がついていることを嫌ったレイクが購入を断ったためムーアのものになった。実は、ムーア本人はこのギターを買った時点から気に入っており、レイクが買わなかったことで内心ほっとしたとの噂。
 
*[[ギブソン・レスポール]]・スタンダード'''(1959年製・シリアルNo9-2***)'''
:[[ピーター・グリーン (ミュージシャン)|ピーター・グリーン]]から譲り受けたもの<ref>グリーンから数日間貸し出された後で「買わないか?」と持ちかけられた。ムーアが「欲しいけど金がない」と言うと、グリーンは「君のメインギターと交換しよう」と申し出たとか。[[ギブソン・SG]]を売って捻出した160ポンドで購入したらしい。</ref>。「[[パリの散歩道]]」での演奏が有名。ピーター・グリーンのトリビュート・アルバムである「ブルース・フォー・グリーニー」はこの[[レスポール]]で録音されている。また、1990年代にネックを破損した(リペア済み)とされる。フロント・ピックアップの向きが上下反転しているのが特徴で、入手時に既にマグネットが逆さまに装着されていた。従ってセンター・ポジションではフェイズアウトの出力となる。リア・ピックアップのエスカッション周辺に塗装の剥落あり。2006年3月、様々な事情が絡んでMaverick Musicに売却された模様。
 
*ギブソン・レスポール'''(1959年製)'''
238行目:
 
*ヘリテイジギターズ150
:「アフター・ザ・ウォーツアーでメインギターとして使用。フロントにPJマークス、リアには[[EMG]]85が搭載されていたという説と、EMG81が搭載されていたという説がある。トップは虎杢。テイルピースはストップ・テイルピースとは微妙に形状が異なっている。<ref>『ギター・マガジン』1989年2月号</ref>
 
*ギブソン・シグネイチャー・モデル・レスポール