「小国城 (出羽国最上郡)」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
|||
6行目:
[[細川直元]]は、[[天童城]]主[[天童頼澄]]と同盟して、[[最上義光]]に敵対していたが、義光が[[天童氏]]を滅ぼすと、[[天正]]8年(1580年)に小国郷にも攻め込んできた。[[山刀伐峠]]を越えて攻め込んだ最上軍に対し、[[赤倉温泉 (山形県)|赤倉温泉]]付近にある平原、万騎ヶ原で迎え撃つがあえなく敗退、直元は討ち死にして細川氏は滅亡、小国郷は[[最上氏]]の領地となった。
義光は、万騎ヶ原の戦いで戦功があった家臣の[[蔵増光忠]](くらぞう あきただ、蔵増安房守)に小国郷を与えた。蔵増
その後、小国氏の居城として使われていたが、主家・最上氏が家督相続にまつわるお家騒動
==構造==
|