「ゲイリー・ムーア」の版間の差分

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[[1985年]]、ライノットとの共作となるシングル「OUT IN THE FIELDS」をリリース。2人の共演は話題を呼び、イギリス国内で最高5位を記録するヒットとなった。9月には『ラン・フォー・カヴァー (Run For Cover)』をリリース。同月からの数公演でライノットがスペシャル・ゲストとして参加。メンバーはニール・カーター、ボブ・ディズリーにガリー・ファーグソン (Gary Ferguson)。10月に3度目の来日公演をおこなっている。
 
[[1987年]]には故郷の[[アイルランド]]を主題としたアルバム『[[ワイルド・フロンティア]] (Wild Frontier)』をリリースし、北欧諸国ノルウェーのアルバム・チャート#1ヒットを記録する<ref>[http://norwegiancharts.com/showitem.asp?interpret=Gary+Moore&titel=Wild+Frontier&cat=a norwegiancharts.com - Gary Moore - Wild Frontier] - 2014年2月25日閲覧</ref>。このアルバムは、前年に亡くなった盟友フィリップ・ライノットに捧げられた。ドラマーには[[エリック・シンガー]]が選ばれ、同年4月、[[スウェーデン]]・[[ストックホルム]]にてドキュメント・フイルム『Live At Isstadion』(VHS)を収録。7月に来日公演。来日時にはプロモーションの一環として[[フジテレビジョン]]の音楽番組『[[夜のヒットスタジオ]]』に出演した。
 
[[1988年]]初頭、前作の路線を引き継いだニュー・アルバムのレコーディングを開始。[[オジー・オズボーン]]、[[サイモン・フィリップス]]、[[コージー・パウエル]]らが参加した『アフター・ザ・ウォー (After The War)』は[[ベルファスト合意]]後の[[1989年]]にリリースされた。期待されたムーアとパウエルによる来日公演はリハーサル段階で頓挫、5月にドラマーに[[クリス・スレイド]]を迎えて来日公演がおこなわれた。同月ニール・カーターとのコンビを解消する。
 
日本マーケットが盛んだったこの時期は、ヴァージン・レコードの日本配給先(当時)である[[ビクターエンタテインメント|ビクター・レコード]]契約の歌手[[浜田麻里]]が、ムーア作の「LOVE LOVE LOVE」(ギターは[[松本孝弘]]が演奏)を録音したり、[[1986年]]、東芝EMIからは[[本田美奈子]]に楽曲提供(「[[the Cross -愛の十字架-]]」: 原曲「クライング・イン・ザ・シャドウ (Crying In The Shadow)」は、日本ではムーア本人のレコーディングでもリリースされている)している。
 
===ブルースへの回帰===
[[1990年]]3月、ブルース・アルバム『スティル・ゴット・ザ・ブルース (Still Got The Blues)』をリリース。親交のあった[[ジョージ・ハリスン]]の他、アメリカのブルース・ギターの名手[[アルバート・キング]]、[[アルバート・コリンズ]]らがゲスト参加している。アルバムはムーアにとって、初のアメリカでのトップ200入りするゴールドを記録(全世界で300万枚)、以後ムーアは自らの音楽の軸をブルースへと回帰させた。またジョージ・ハリスンの誘いで[[トラヴェリング・ウィルベリーズ]]の『[[トラヴェリング・ウィルベリーズ Vol.3]]』にも参加している。4月からミッドナイト・ブルース・バンドを編成して英国、ヨーロッパでコンサート、5月の[[ハマースミス・オデオン]]でのドキュメントは『An Evening Of The Blues』というタイトルでVHS化されている。基本メンバーはアンデイ・パイル (Andy Pyle) (ベース)、グラハム・ウーカー (Graham Walker)(ドラムス)、キーボードにはドン・エイリーやトミー・エイレ、そしてホーン・セクションに女性コーラスが参加している。
 
[[1992年]]、多額の制作費を注ぎ込んだ『After Hours』リリース。[[アルバート・コリンズ]]、[[B.B.キング]]がゲスト参加。同年4月、[[ジョージ・ハリスン]]の[[ロンドン]]・[[ロイヤル・アルバート・ホール]]公演のサポートを担当。[[ジョー・ウォルシュ]]とともにハリスンのステージにも参加。ムーアは[[ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス]]のギター・ソロを弾いている。ミッドナイト・ブルース・バンドはアメリカ、EUなどでプロモーション・ツアー。同年6月28日には[[ハマースミス・アポロ|ハマースミス・オデオン]]で[[ミック・ジャガー]]と共演するし、この時ライヴ録音された「Everybody Knows About My Good Thing」はジャガーのソロ・シングル「Don't Tear Me Up」に収録された<ref>[http://www.discogs.com/Mick-Jagger-Dont-Tear-Me-Up/release/1705950 Mick Jagger - Don't Tear Me Up (CD) at Discogs] - 2014年2月25日閲覧</ref>
 
[[1993年]]6月、ワールドツアーを記録した『Blues Alive』、映像作品の『Live Blues』を発表した。
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[[2010年]]4月、21年振りの来日公演が東京、名古屋、大阪で行われた。夏のヨーロッパでのフェスティヴァル・ツアーはニール・カーター、ピート・ルイス、ダーレン・ムーニーらによって1980年代の楽曲が演奏され、ロシア東北部の[[ウラジオストク]]までのツアーが組み込まれた。
 
ロシア公演中に、「どうして、イスラエル公演がおこなわれないのですか?」という質問に対して。ムアは「イスラエルによるパレスチナへの弾圧があるから」と応えて断った。
[[2011年]]2月6日、休暇先のスペインにて吐瀉物により心臓発作で急逝<ref>[http://www.gary-moore.com/ 公式サイト]</ref>。2月23日15年間暮らしていたブライトンで葬式が行われた。亡骸はミュージシャンである息子のジャック・ムーアが「ダニー・ボーイ」を演奏して葬送された。
 
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*1980年 G-FORCE/G-FORCE
*1981年 GREG LAKE/GREG LAKE<br>
*1982年 [[コリドーズ・オブ・パワー|CORRIDORS OF POWER]]/GARY MOORE
*1983年 DIRTY FINGERS/GARY MOORE
*1983年 MANOEUVERS/GREG LAKE
*1984年 [[ヴィクティムズ・オブ・ザ・フューチャー|VICTIMS OF THE FUTURE]]/GARY MOORE
*1985年 RUN FOR COVER/GARY MOORE
*1987年 [[ワイルド・フロンティア|WILD FRONTIER/GARYFRONTIER]]/GARY MOORE
*1989年 AFTER THE WAR/GARY MOORE
*1990年 STILL GOT THE BLUES/GARY MOORE