「コンチェルト・グロッソ」の版間の差分

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この形式は、恐らく1680年頃に[[アレッサンドロ・ストラデッラ|ストラデッラ]]によって開発された。彼は「コンチェルト・グロッソ」という単語こそ使わなかったが、いわゆる「コンチェルティーノ」と「リピエーノ」を個性的に組み合わせた音楽を初めて書いたとされる。最初の有名な合奏協奏曲の作曲家は、ストラデッラの友人の[[アルカンジェロ・コレッリ|コレッリ]]である<ref>服部 p.57</ref>。コレッリの死後、彼の作曲した12の合奏協奏曲(個々の楽章は、彼の遺作の中からばらばらに選ばれたようである)が出版され、すぐにヨーロッパ中に広まった。彼の作品は多くの人々により賞賛され、また模倣された。[[フランチェスコ・ジェミニアーニ|ジェミニアーニ]]と[[ジュゼッペ・トレッリ|トレッリ]]はコレッリのスタイルで多くのコンチェルトを書き、また[[アントニオ・ヴィヴァルディ|ヴィヴァルディ]]もコレッリから強い影響を受けた。
 
コレッリの時代には、大きく異なる2つの合奏協奏曲の様式があり、それぞれ重要であった。'''教会コンチェルト'''(''concerto da chiesa'')と '''室内コンチェルト'''(''concerto da camera'')である。前者はより公的な場で演奏され、形式的には遅い([[ラルゴ]]もしくは[[アダージョ]])楽章と早い([[アレグロ]])楽章の繰り返しにより構成されている。後者は、[[組曲]]に近い性格を持っており、[[前奏曲]]による導入部と、当時流行していたいくつかの[[舞曲]]から構成されている。これらの区別は、のちには曖昧になっていった。
 
コレッリのもっとも有名なコンチェルトは、クリスマス協奏曲と呼ばれる8番 ト短調であろう。この曲は烈しいアレグロと、通常はクリスマスイヴにのみ演奏されるべき任意の[[パストラーレ]]で閉じられる。しかしこのパストラーレは大変に人気があるため、時節に関わらず演奏されることがある。