「ヨハネ・パウロ1世 (ローマ教皇)」の版間の差分
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'''ヨハネ・パウロ1世'''(
== 生涯 ==
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===聖職者===
[[1923年]]にフェルトレの神学校に入ったが、後にベッルーノ教区の[[神学校]]に移って学んだ。このころには[[イエズス会]]に入会しようとするが、神学校のジョスエ・カタロッシ (Giosuè Cattarossi) 司教には、入会を認められなかった。[[1935年]][[7月7日]]にベッルーノの聖ピエトロ教会で司祭に[[叙階]]された。
[[File:Albino Luciani, 1964.jpg|thumb|200px|ヴィットリオ・ヴェネト司教時代(1964年)]]
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=====避妊の解放=====
ヨハネ・パウロ1世は、避妊についての禁令を解くつもりでもあった。9月23日日曜日、ローマ司教の職権によりサン・ピエトロ大聖堂を受け継いだヨハネ・パウロ1世は、[[共産主義]]の市長と握手を交わし、ミサの後、教会の真の宝である貧しい人々の
アメリカの幾つかの[[プロテスタント]]教会とは既に接触を持っていた。
「神からの贈り物である子供が出来ないようにする行為は罪である」とするそれ
=====バチカン銀行の改革=====
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