「モンパルナス駅」の版間の差分

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[[1944年]]の[[パリの解放]]では、モンパルナス駅が重要な舞台となった。[[8月25日]]、南側からパリに入城した[[自由フランス]]軍第2機甲師団の[[フィリップ・ルクレール]]はモンパルナス駅に司令部を置き、[[ドイツ軍]]との[[市街戦]]の指揮をとった。同日16時頃、ドイツ軍のパリ駐留部隊司令官[[ディートリヒ・フォン・コルティッツ|フォン・コルティッツ]]が駅に出頭し、ルクレールとの会談の後降伏した。
 
[[1960年代]]に入ると、パリの[[再開発]]の一としてモンパルナス駅を南に移転してメーヌ駅と統合し、跡地にオフィスビルとショッピングセンターを建設することになった。新駅への移転は[[1965年]]に行われた。この時点では駅舎は頭端側(現ポルト・オセアン)のみであり、パスツール大通りは単なる跨線橋だった。旧駅の跡地には[[1972年]]に[[モンパルナス・タワー]]が完成した。
 
[[1989年]]の[[LGV大西洋線]]開通に伴う[[TGV]]の乗り入れのため、駅は更に増改築された。[[1987年]]には駅舎(ポルト・オセアン)の改築が行われた。[[1991年]]にはパスツール大通りを挟む形でホーム上にオフィスビルが建てられ、その下にパスツール駅舎が作られた。[[1995年]]にはホーム上がすべて人工地盤で覆われ、アトランティック庭園が完成した。
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駅北側の旧モンパルナス駅跡地には、パリで最も高い[[超高層ビル]][[モンパルナス・タワー]]と、[[ギャラリー・ラファイエット]]などが入る[[ショッピングセンター]]がある。旧駅跡地の東側の通りをデパール(Départ、出発)通り、西側をアリヴェ(Arivée、到着)通りというが、これは旧駅舎の左(東)側が出発用、右(西)側が到着用と使い分けられていた名残である。
 
その北側の旧駅前広場(1940年6月18日広場、旧称レンヌ広場)からはパリ中心部へ向かってレンヌ通り(Rue de Rennnes)が一直線に延びている。これは駅開業後に[[ジョルジュ・オスマン|オスマン]]の[[パリ改造]]の一として作られたものである。通りの名はモンパルナス駅発の鉄道沿線の主要都市である[[レンヌ]]から取られた。
 
モンパルナス駅やその周辺には[[レジスタンス運動]]や[[パリの解放]]を記念したものが多くある。旧駅前広場の名称「[[1940年]][[6月18日]]広場」は、[[シャルル・ド・ゴール]]が亡命先の[[ロンドン]]から徹底抗戦を呼び掛ける放送を行った日付に由来する。また駅屋上のアトランティック庭園北側には[[フィリップ・ルクレール]]と[[ジャン・ムーラン]]を記念する[[博物館]]がある。庭園内の歩道には「第2機甲師団(Deuxième division blindée)」や「ドロンヌ大尉(Capitaine Dronne、パリに一番乗りした戦車中隊の中隊長)」といった名がつけられている。これら旧跡の他駅周辺には[[クレープ]]を扱う店が多数軒を連ねている。