「ヘクサムの戦い」の版間の差分

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|conflict=[[薔薇戦争]]
|date=[[1464年]] 5月15日
|place=[[イングランド]] [[ノーサンバーランド (イングランド)|ノーサンバランド]]のヘクサム
|result=ヨーク派の勝利
|combatant1=[[ヨーク朝|ヨーク家]]
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'''ヘクサムの戦い'''([[1464年]]5月15日)は[[薔薇戦争]]中、[[エドワード4世_(イングランド王)|エドワード4世]]の治世の早い時期に行われた戦いで、北イングランドにおける主な[[ランカスター家|ランカスター派]]の抵抗の終焉を告げた戦いでもあった。
 
戦闘は[[ノーサンバーランド (イングランド)|ノーサンバランド]]のヘクサムの町の近くで行なわれた。後にモンターギュ侯となる[[モンターギュ候ジョン・ネヴィル|ジョン・ネヴィル]]は、3,000-4,000という、軍隊というにはつつましい程の兵を指揮して、ランカスター派が「反逆者」となっていく道筋を歩んでいった。[[ヘンリー・ボーフォート (第3代サマセット公)|サマセット公ヘンリー・ボーフォート]]を含む反乱の指導者の大部分が捕えられて、処刑された。だが[[ヘンリー6世_(イングランド王)|ヘンリー6世]]は、今回はなんとか無事に逃げ延び(彼はこれまでの人生の中で、3回戦闘中に捕獲されている)、北へ落ち延びていった。
 
ランカスター派内部の求心力の低下に伴い、ただ少数の城だけが反逆者の手元に残っている、という状態であった。残るそれらの城がその年遅くに落ちた後、[[リチャード・ネヴィル|ウォーウィック伯]]が1469年にランカスター派に鞍替えするまで、エドワード4世にはもはや大した障害はなかった。