「式守伊之助 (30代)」の版間の差分

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*同じ部屋で師匠の26代庄之助とは誕生日が同じで、[[干支]]も子年(ちなみに2周り違い)。
*與之吉時代、十両の取組で「[[金城興福|金城]]<ref>現役末期で、十両に下がり四股名を本名である「金城」に戻していた。</ref>」と勝ち名乗りを上げるべきところを、前名の「栃光」と上げてしまったことがあった。
*1994年3月場所9日目、大関貴ノ花(のち貴乃花)-[[小結]][[栃乃和歌清隆|栃乃和歌]]戦で、取中に栃乃和歌の廻しの結び目が緩んでしまい、廻し待ったをしようとしたが、両力士が動き出してしまい止めることができなくなった。そこで両力士を元の位置に戻し廻しを締めて勝負再開した。取後勘太夫はそのことで注意を受けた。この場所まで次の立行司の選考期間で他の2人が差し違えなど失点があり、勘太夫はここまで失点がなかったが、この一番で失点となり3人とも条件が同じになってしまい、次の立行司は3人のうちで行司歴の長い錦太夫になった。
*彼の立行司昇格により、初めて伊之助の代数が庄之助の代数を上回ることになった。