「ジャン2世 (キプロス王)」の版間の差分

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キプロス王[[ジャニュ (キプロス王)|ジャニュ]]と、その2番目の妻でラ・マルシュ伯[[ジャン1世 (ラ・マルシュ伯)|ジャン1世]]の娘である[[シャルロット・ド・ブルボン (1388-1422)|シャルロット・ド・ブルボン]]の間の長男として生まれた。王位に就く以前は、名目上の[[アンティオキア公国|アンティオキア公]]の称号を帯びていた。
 
1437年、[[モンフェッラート侯国|モンフェッラート侯]][[ジョヴァンニ・ジャコモ・デル・モンフェッラート|ジョヴァンニ・ジャコモ]]の娘[[アメデーア・パレオロガ|アメデーア]]と代理結婚により婚姻した。アメデーアは1440年に[[キプロス島]]に輿入れし、同年7月3日に正式な結婚式を挙げたが、新妻はその2か月後に急死した。1442年2月3日、[[モレアス専制公領|モレアス専制公]][[テオドロス2世パレオロゴス|テオドロス2世]]([[東ローマ帝国の皇帝一覧|東ローマ皇帝]][[ヨハネス8世パレオロゴス|ヨハネス8世]]の弟)の娘[[エレニ・パレオロギナ|エレニ]]と再婚し、間に2人の娘をもうけた。
*[[シャルロット・ド・リュジニャン|シャルロット]](1444年 - 1487年) - キプロス女王
*クレオーファ(? - 1448年)